日本サッカー協会最高顧問の川淵三郎氏の文化勲章受賞が決定した。この意味は極めて大きい。
スポーツ界からの文化勲章の受賞は、水泳の古橋廣之進氏(08年)、野球の長嶋茂雄氏(21年)に次いで3人目。この二人は、どちらかと言えば現役選手や監督時代に、一時代を築くほどの素晴らしい活躍をして社会に大きな影響を与えたことが高く評価されて受賞が決まった。
それに対して川淵氏は、早大や古河電工のサッカー部で活躍したり、日本代表監督を務めたこともあった。が、今年30年目を迎えたJリーグの創設に初代チェアマンとして尽力したことや、組織の分裂で国際連盟から資格停止処分を受けていたバスケットボール協会の改革に大鉈を振るい、Bリーグの発足に導いたこと等が評価されたものだった。
つまり、スポーツの最前線でのプレイや成績が評価されたのではなく、裏方としての組織創りにリーダーシップを発揮したことが評価されての受賞だった。しかもJリーグの創設やBリーグによる大改革は、川淵氏自身が「スポーツによる社会革命」と称したように、それまでの日本社会には存在しないものだった。
現在も、プロ野球やラグビー、バレーボールや駅伝などでは、多くのチームが名前に企業名を冠し、日本のスポーツの多くは、企業が所有し運営するなかで発展してきた。
従って日本のスポーツは常に、企業の宣伝や販売促進、社員の福利厚生や団結心の向上等に利用される存在だった。
また高校や大学スポーツも、教育の一環という建前が存在したり、私学の宣伝に利用されたりで、日本のスポーツは「スポーツを行う」という以外に、常に「スポーツ以外の目的」が存在していたのだ。
それが常識になっていたため、Jリーグの発足時にも、「Jリーグを創って、いったい何をするつもりですか?」と川淵氏に訊いた記者がいた。すると「サッカーをします」と、川淵氏は答えたのだった。
その言葉こそまさに「革命的」と言うべきで、その革命的な営みに異を唱え、旧来のように企業がチームを所有し、企業宣伝などにスポーツを利用するやり方を継続したいと考えたメディアのなかには、Jリーグの発足から2年もの間その方針に逆らい、サッカーチームの名称を企業名で呼び続け、そのうえ「川淵がいる限りJリーグは発展しない」と、今となっては間違っていることが明らかな暴論まで吐き、Jリーグと別のプロ・サッカーリーグの創設を画策する勢力まで存在したのだった。
そんな反対勢力との「闘争」を経てJリーグは生まれ成長し、それをモデルにBリーグの誕生へとつながり、さらにサッカー日本代表のW杯でのドイツ・スペインを破る大活躍や、バスケットボールの48年ぶりのオリンピック自力出場につながったのだった。
そうして日本社会に明るい勇気を与えたことを思うなら、川淵氏が率先して導いた「スポーツによる社会革命」は、まさに文化勲章に値するものと言えるだろう。
欧米から「カルチャー」という言葉が入ってきた明治時代、日本人は「文化」という訳語を当てた。カルチャーとは「(みんなで・社会で)実らせたもの・創りあげたもの」という意味。
川淵氏の文化勲章をきっかけに、カルチャー(文化)としてのスポーツがさらに広がることを期待したい。
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