昭和34年、和泉流狂言師・七世野村万蔵の長男として生まれた耕介は、三歳で初舞台を踏んだ。役柄は、もちろん「猿」。台詞は「キャッキャッキャ」。その舞台を、耕介は、「馬とニンジンの関係で務めた」という。
「稽古をして舞台に出ると、どっさりオモチャがもらえる。狂言の世界に入ったきっかけは、ただ、それだけのことでした」
そのうち、オモチャがゲンコツに変わった。「腕の位置が高い」といわれてゴツン。「低い」といわれてゴツン。「どうして、こういう腕の動きをしなければならないのか?」と訊ねると、「口答えをするな」といわれて、またゴツン。
「なぜゲンコツが飛んだかというと、理由を説明できないからなんですね。伝統芸能の動きや台詞には、すべて、それが成立した理由があるのに、それを誰も知らない。説明できない。かつては、理屈を抜きにして型を身につけることが伝統の継承である、と信じられてきたわけですから」
口数が多く反抗的な“御曹司”は、当然のごとく家を飛び出した。
学習院高校時代は、家を抜け出しては新宿へ足を向け、シンナー、暴走族、ゴールデン街などと関わりをもった。時は、70年代。新宿には“文化人”があふれていた。麻雀は阿佐田哲也、酒は田中小実昌、秋山裕徳太子、丸山(美輪)明宏などなど、「なかなかのひとびと」からさまざまなことを学ぶことができた。が、「鮭が生まれ育った川へ戻るように」何度も何度も新宿と伝統の家を往復。
大学には進学せず、20歳のときにイタリアでおこなわれたISTA(インターナショナル・スクール・オブ・シアター・アンソロポロジー=国際演劇人類学協会)のセミナーに参加する。そこで、グロトフスキーやピーター・ブルックといった超一流の演劇人と出会ったことで、「目覚めた」という。
「そのとき50代半ばだったピーター・ブルックが、こういったんです。自分は60歳で古代インドの叙事詩『マハーバーラタ』の舞台をやりたいと思ってる。そのためには50歳のときに何をやり、40歳のときに何をやり、30歳のときには・・・と計画して、そのとおりにやってきた。だから『マハーバーラタ』は絶対にやれる、とね。じっさい彼は、その後、『マハーバーラタ』の舞台を実現したんですけど、その言葉を聞いたとき、それじゃあ、おれも将来のために30歳までは逼塞(ひっそく)して、身につけられるものは身につけておこうと・・・」
というわけで、いったん「フォレスト・ガンプを決め込んだ」コースケは、とりあえず「伝統芸」を磨くことに専念し、25歳で『釣狐』で演じるなど、狂言の大役を次々とマスター。和泉流狂言師としての地歩を固める一方、将来に向けての準備、すなわち勉強をはじめた。そうして30歳のときから行動を開始。31歳のときに上演したのが、(前回の)冒頭に記した『大田楽』というわけである――。
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野村耕介には、ふたつの幸運があった。
ひとつは、全共闘運動を生んだ団塊の世代と年齢が離れていたこと。もしも耕介が「政治の季節」に生まれていたなら、彼のラジカル(過激)なエネルギーは、反体制ブームという時代の空気と合致し、文字通りの「伝統破壊者」だけに終わっていたかもしれない。
もうひとつの幸運は、いうまでもなく「伝統の家」に生まれたこと。形骸化しているとはいえ、根本に豊饒なエネルギーを秘めている日本文化の伝統は、彼にラジカル(根源的)な根っこを植え付けた。
そうして真にラジカルな文化の破壊者兼継承者、すなわち文化の創造者が生まれた、というわけである。
「うなぎの冷凍パックでは仕方ない」
冷凍にして電子レンジでチーンと解凍すればいいだけの「日本文化」は、幼いころに子役として何度も「日本伝統芸能海外派遣団」に参加してウンザリしたという。
「薪能なんてのも、昔は薪をボウボウ燃やしていただけで、火入れ式などという儀式はなかったんです。それができたのは東京オリンピックで聖火を見た人がアイデアを盗んで以来のこと。伝統とか権威なんて、そんなものなんですよ」
ありとあらゆる演劇と舞踏に精通し、新劇やNHKの大河ドラマから、海外の前衛演劇にまで関わりをもち、みずからを「ジャパニーズ・トラディショナル・コメディアン」と称するコースケは、比叡山の僧侶に声明(しょうみょう)を習い、中世の踊り念仏を再現する狂言を上演したかと思うと、赤坂日枝神社をビヤガーデンにして明治の演歌師・添田唖蝉坊(そえだあぜんぼう)を復活させるコンサートを開いたりもする。はたまた新しい形態の薪能を企画したかと思うと、古代の仮面劇であり伎楽をモチーフにした「新伎楽」の想像に着手したり、最近レナード・バーンスタイン・コンクールで優勝した指揮者の佐渡裕と組んで、平安神宮を舞台になにやらとてつもない楽劇の上演を計画したり・・・。
野茂とイチローの活躍以外に明るい話題のない平成の世の中・・・などとウソブク文化人やマスコミ人は、スポーツ以外の文化にも新しい時代の胎動が起きていることに、どうやら、まだ、お気づきではないようである。 |