アメリカの女性心理学者のデューカス・スーザン=バットという人物が、世界のスポーツマンの心理分析を行ったことがある。世界で一流といわれるほどのスポーツマンは、いったい何故、どういう動機でスポーツを行うのか、という調査である。
スーザン=バットは、カネや名誉、社会的地位や称賛を得るため、といったきっかけを、二次的動機と位置づけ、スポーツをやりはじめてトップの座まで登るには、もっと根源的な一次的動機が存在する、と考えた。
そして多くのスポーツマンやスポーツウーマンにインタヴューを繰り返し、調査を続けた結果、徹底的にスポーツに打ち込む動機は、三種類しかないという結論に達した。
ひとつは、自分の成長に喜びを感じ、さらに成長しようと考えることが動機になるタイプ。このタイプは非常に真面目な性格の持ち主に多く、日々コツコツと練習を繰り返すことそのものに喜びを感じる。しかしパーセンテージとしては、あまり多くないという。
多数派は次の二つのタイプで、ひとつはスポーツを行う(闘う)相手に絶対に勝ちたい、絶対に負けたくない、自分は絶対にナンバーワンなのだ、という強い攻撃心と強い優越感が動機になっているタイプである。
ナンバーワンになりたいという以上に、自分はナンバーワンなのだ、ナンバーワンでないとイヤだ、そうでないと自分を許せない、とまで強く思い込むタイプは、だからこそ苦しいトレーニングにも堪えられるという。
英語では、そういう複雑な強い気持ちのことを「コンプレックスcomplex」という。
日本語では「劣等感(インフェリオリティ・コンプレックスinferiority complex)」だけをコンプレックスと言うのが普通だが、心理学的には、過度の「優越感(スペリオリティ・コンプレックスsuperiority complex)」もコンプレックスの一種で、一流選手がスポーツに打ち込む確かな動機のひとつになっているというのだ。
そして、一流のスポーツマンがスポーツを行う動機のなかで最も多いのが、「インフェリオリティ・コンプレックス」つまり「劣等感」だとバットは結論づけている。
これは、一瞬「えっ?」と驚きたくなる結論に思えるが、一人一人のスポーツマンの事情を考えると、非常に納得できる。
たとえばミスター・プロ野球といわれた長嶋茂雄さんは、中学生まで「チビ」という渾名で呼ばれるほど背が低く、大きな選手に負けるものか、という気持ちで練習に打ち込んだという。
また、ボクシングの世界チャンピオンとなった具志堅用高さんは、身体が小さかったうえに側頭部に五百円玉ほどの脱毛症があり(アフロヘアは、それを隠すためらしい)、そのことを指摘する連中に負けたくないという思いで練習に励んだという。
さらに一九六八年メキシコ・オリンピックのマラソンで銀メダルを獲得した君原健二さんには、次のような話を聞いたことがある。
「足の速い人、走ることの得意な人は、百メートルや二百メートルのレースに挑戦します。それに勝てないと四百メートルや八百メートル、それにも勝てないとなると千五百メートルや三千メートル、それにも勝てないなら五千か一万、それにも……で、マラソンはいちばん走るのが遅く、下手で苦手な人間がやるのです……」
その言葉が、そのまま正しいかどうかはさておき、君原選手のそのような「劣等感」がエネルギーになったことは間違いなさそうだ。そういえばマラソン五輪メダリストの有森裕子さんにも「自分は走るのは下手で、耐えて頑張ることしかできないから、それが良かったのかな」という話を聞いたことがある。
また、プロ野球選手の多くから、「今シーズンは一本もホームランが打てないんじゃないか、一本もヒットが打てないんじゃないか」と「開幕前は恐怖感に襲われる」という話を山ほど聞いたことがある。
王貞治さんも、山本浩二さんも、掛布雅之さんもそういっていたし、イチローも同じようなことを口にしたという。これも一種の「劣等感」で、だから一流選手は練習に打ち込み、一流といわれる成績を残したのだ。
「劣等感」をエネルギーにするかどうかは、各人の気持ちの持ちよう次第だろうが、「劣等感」が、悪いモノだとか、邪魔なモノだとか、各人を悩ますだけのモノ……などといえないことだけは、確かなようである。
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