いまから5年前(平成2年)、中世の芸能である田楽を現代に蘇らせた。ごくわずかに残された資料から、衣裳をつくり、楽器を復元し、演者の動きを類推し、『大田楽』と称してみずから構成演出を手がけ、赤坂日枝神社で初演した。それは驚嘆すべきパフォーマンスだった。
原色を基調とした派手な衣裳。耳うるさいほどに鳴り響く打楽器群。そのリズムに合わせて奏でられたフリージャズのインプロヴィゼーション(即興)のような音楽。サーカスの曲芸を思わせる演者のダイナミックな動き。中世日本のカブキ者(芸能者=俳優=ワザオギ)たちの乱舞は、能の幽玄の世界や狂言の型、さらにワビ・サビなどとはまったく異なる日本古来のエネルギーを発散させ、見る者を圧倒したのだった。
野村耕介は、ラジカルな狂言師である。ラジカルとは、過激であると同時に根源的という意味である。
昨年(1994年)、京都の建都千二百年記念行事のひとつとして平安神宮で大田楽が上演されたときは、中世のカブキ者やハグレ者の群れが、普段は立ち入り禁止の奥の院まで入り込み、歌い、踊り、練り歩いた。
同じく平安神宮で、藤原時代の『相撲節会(すまいのせちえ)』が再現されたときは、その前座として行われた「散楽」を復元し、唐や高麗のあざやかな衣裳を身にまとった役者の乱舞で、観衆の度肝を抜いた。
今年(1995年)の1月、五世野村万之丞を襲名した舞台では、初日の最初の演目に『釣狐』、3日目最後の舞台に『唐人相撲』というプログラムを組むことによって、旧来の狂言界の「権威」を無視し、否定し、嗤い飛ばした。
『釣狐』は、いうまでもなく「猿に始まり狐に終わる」狂言界至高の名作、至難の大作といわれている作品。一方、『唐人相撲』は、耕介が25年ぶりに復活させた抱腹絶倒の大スペクタクル狂言。日本人の力士が唐人の力士とつぎつぎと相撲をとり、総勢50人以上の役者が「メンタンピン」「チャーシューメン」などと怪しげな中国語を叫びながら、柱によじ登ったり、欄間にぶら下がるなど、能舞台のうえを所狭しと暴れまくった。
そして10月には『花風流』と題する「新しい能」を発表。能を新しくつくり、上演したのは、じつに室町時代以来300年以上も絶えてなかったことである。しかも、能や狂言でもちいられる仮面にくわえて、ジャワやブータンの仮面、イタリアのコメディア・デラルテの仮面までももちい、実際の華道までもドラマに取り込んでのコラボレーションにより、「婆娑羅(ばさら)風流の世界」を描き出した。
「伝統」にたいして、これほど「ラジカル」な行為は、ほかにあるまい。
とはいえ、耕介に、力みはない。伝統に挑戦し、破壊しようと肩に力を入れているわけではない。つねに、自然体。「当然のことをやっているだけ」と嘯(うそぶ)き、飄々と過激に走る。そういう「空吹く(うそぶく)」態度こそ、狂言師に求められる姿勢だという。
「古典芸能は新しい」耕介にあるのは、その信念のみ。いや、それも信念などというほどの大袈裟なものではない。彼にとっては、当たり前のこと。いいや、かつては、だれにとっても当然のことだった。伝統芸能だの、古典芸能だのといって、芸能に権威を付与してしまった結果、いつの間にやら忘れてしまっただけのことなのだ。
「ヨーロッパの伝統芸能というのは牽引型で、古典を新しいスタイルに牽引することによって、伝統が継承される。だから、つねに古典に帰る。ギリシアに戻る。ラシーヌが『フェードル』を書いたのもそうだったし、ワーグナーの楽劇もギリシア悲劇から再出発するところから生まれた。ところが日本の伝統というのは、すべて“型”を残すことに力をそそぐ。能、狂言、歌舞伎はもちろん、新派、新劇から、劇団四季のミュージカル、松竹新喜劇、吉本新喜劇、テント演劇にいたるまで、なにもかもが“型”として継承される。新劇も、いまや“古典芸能新劇”といえる伝統がうかがえるでしょう。日本にも、戻るべき古典はあるのに・・・」
耕介の口にする話は、いつも、こんなふうである。簡潔にして明瞭。鋭く本質を抉(えぐ)りながら、ユーモアに満ちあふれている。
「日本の物語は、風流と文学。そのふたつが江戸時代までは見事に融合していた。なのに明治からは風流がなくなって文学だけになってしまった。たとえば、60歳の知識ばかりが頭に詰まった婆さんと、知識はまったくないけれど20歳の女の子の、どっちと付き合いたいかっていわれれば、そりゃ、だれだって20歳の若い女の子の方がいいでしょう。ああだこうだと理屈をいわれるよりも、アタシィ、ヨクワカンナイケドォ、ナンダカァ、カコイイジャーンという女の子と食事をするほうが楽しいでしょう。それが風流なんだけど、近代日本は、その風流をすべて切り捨ててしまったんですよね」
耕介の語り口を、彼自身の言葉で表現するならば、「重軽(おもかる)」ということになる。つまり、「重い」ことを「軽く」話す。重いことを重く話す「重重(おもおも)」か、軽いことを軽く話す「軽軽(かるかる)」に満ちている世の中で、彼の「重軽」の話法は、貴重であり、痛快でもある。
もちろんこのワザは、膨大な過去の知識を吸収し、自分の者として消化できる、強靱な胃袋と、犀利(さいり)な頭脳と、それらを機能させる貪欲なパワーの持ち主でなければ駆使できるものではない。
では、なぜ、これほどまでのエネルギーに満ちた男が、この国の頑迷固陋な「伝統」のなかから突然変異のように産みだされたのだろう?
(以下、次回に続く)
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