2年後に迫った東京オリンピックの公式記録映画の監督が、河瀬直美さん(49)に決定した。河瀬監督は、1997年の映画『萌の朱雀』でカンヌ映画祭新人監督賞を史上最年少の27歳で受賞。2007年には映画『殯の森』で同映画祭グランプリを獲得。現在日本を代表する映画監督のひとりだ。
私は同監督の作品は、2015年に樹木希林さんが主演した映画『あん』しか見ていないが、いかにも女性監督らしい柔らかいタッチの美しい映像で、ハンセン病患者の生活という難しいテーマが見事に描き出されていることに感激した。そのうえ河瀬監督は、もともとドキュメンタリー映画の出身というから、2020年の五輪公式映画がどのような作品に仕上がるのか、大いに期待が膨らんだ。
(この原稿を発表したあとに『殯の森』をDVDで見ましたが、それもまた、非常に柔らかい優しさに溢れた映画でした)。
しかし、それと同時に、これからが大変だろうな……と、少々心配にもなった。というのは1964年の東京オリンピックの記録映画を監督した市川崑さんから、生前に苦労話を何度かお聞きしたからだ。
1964年の公式記録映画は当初、黒澤明監督がメガホンを取る予定で、彼は1960年のローマ・オリンピックを見学に行くなど準備を進めていた。が、彼が映画製作の計画案を組織委員会に示したところが、それは受け入れられるものではなかったという。
何しろ小型のビデオカメラなど存在しない時代に、重さが20キロ以上もあるドデカイ70ミリ・フィルム用のカメラを、100m決勝を走るランナーたちの真横に同じスピードで走らせたい、と言いだしたのだ。さらに棒高跳びのバーの真横にカメラを設置したり、走り幅跳びの着地点の砂場の前方に穴を掘って設置したり、体操競技の鉄棒の真横にカメラを設置したり……。
そこで組織委員会の担当者が、それはできない…と言ったところが、黒澤明監督が「ヤメル」と言いだし、市川崑監督にオハチがまわってきたのが1964年1月。つまり大会の10か月前だったという。
それから市川さんは、レニ・リーフェンシュタール監督の『民族の祭典』(1936年ベルリン五輪記録映画)などでスポーツ映画を勉強。詩人の谷川俊太郎氏や脚本家・和田夏十さん(市川夫人)などの協力を得て映画の全容を示す台本を仕上げ、撮影すべきシーンを描いた絵コンテを制作。
そうして準備を整え、10月10日から2週間に渡って繰り広げられた「人類の祭典」の撮影を開始したのだった。
組織委員会からの要求はただひとつ。全競技を映像に収め、3時間前後にまとめること。総予算は撮影途中から大幅に膨らんで3億7千万円(現在の貨幣価値ではその10倍以上だろうか)。全国から103台のカメラと232本のレンズが集められ、総勢550人以上のスタッフで撮影したフィルムは70時間分にもなった。
そのフィルムが撮影途中に不足し、コカコーラ社とタイプライターのオリベッティ社が援助を申し出てくれたのだが、当時の厳しいアマチュア規定のため、オリンピック関連事業が金銭を受け取ることはできず、援助はフィルムの現物支給となったという。
映画のなかで選手たちがコカコーラを飲むシーンがあったり、世界各国の新聞記者がタイプライターを打つシーンにオリベッティのマークが出てくるのは、「感謝のしるし」だと市川さんは語っていた。
そうして完成し、東京五輪の翌年の1965年3月に一般公開された映画は、日本国民の大人は全員が見たとも言われたほどで、12億円以上もの興行収入を記録した。が、当時の五輪担当大臣の河野一郎氏が、「記録性がない」と酷評。「芸術か記録か」という大論争にまで発展した。
しかし私は、市川監督の映画『東京オリンピック』は、映画史上最も素晴らしいスポーツ映画だと確信している。
実際この映画を、中学1年だった私が初めて映画館で見たときは、70ミリ大画面の迫力、色彩の美しさ、それに何よりスポーツマンの力強さ、清々しさ、美しさ、スポーツの素晴らしさに圧倒された。
たとえば100m走のスタート前には、緊張で引きつる選手の顔や、苛々と唇を震わせる選手の姿が超アップで映し出され、砲丸投げのシーンでは砲丸を自分の可愛いペットを可愛がるように、何度も何度も撫で回す選手の姿が映し出される。
あるいは柔道無差別級で神永がヘーシンクに敗れた瞬間は、当時の新聞が「お家芸惨敗!日本中が涙」と報じたが、映画では清々しい笑顔で握手する神永の姿が捉えられている。
それとは正反対に、日本の女子バレーボールが金メダルに輝いた瞬間は、大喜びする選手とは対照的に、大松監督の腑抜けたような放心状態の姿が映し出されている。
キラキラと湖面が美しく輝くカヌー競技や、選手が海に落ちそうになって荒波に揉まれるヨット競技、ユーモラスな競歩選手のお尻の動きや、美しい爽快感に満ちた自転車競技など、すべてのシーンにスポーツの素晴らしさが溢れ、そしてそれらがすべて総合されたところに「人類は4年に一度〈夢〉を見る」というオリンピックに対する市川監督の「思想」が(ちょっと取って付けた表現ですが)浮かびあがってくるのだ。
その〈夢〉の実現のため、映画はクレーンで吊した巨大な鉄球で東京の古い建物を破壊するシーンから始まる。そして新しい都市が生まれるのだが、まだ残る雑踏やスモッグや交通の混乱など、映画には当時「汚穢都市」と呼ばれた東京の汚れた一面も映されている。
一方聖火リレーのシーンでは、日本の緑豊かな棚田の風景や、京都の町家の美しい瓦屋根、白い雪をかぶった見事な富士山も……。しかし富士山の近くを聖火が走ったときは真夏。まだ雪はなかったはずでは? と市川さんに問うと、「僕は映画を創ったんだよ。富士山に雪がないのはオカシイだろ」と笑顔で言われた。
そんな市川さんが、映画『東京オリンピック』の撮影中、一番印象に残った出来事として話してくれたのが、サッカー会場の駒沢競技場でのエピソードだった。入場券を握り締めた10人くらいの和服姿のお婆さんがやってきて、市川監督にこう尋ねたというのだ。
「ちょっとお訊きしますが、オリンピックは何処でやってるんでしょう?」
日本中がオリンピックに騒ぐなか、お婆さんたちも足を運んでみたが、男たちがボールを蹴っているだけ。このお婆さんたちの疑問に接した市川監督は、オリンピックとは何か? と改めて考え続け、映画『東京オリンピック』のラストシーンに辿り着いたという。
「人類は4年に1度夢を見る。この創られた平和を夢で終わらせていいのであろうか」
新しいデジタル技術で撮られる映画(2021年公開)は、どんなものになるのか?
「選手だけでなく、ボランティアの人々にも目を向けたい」と語った河瀬監督の作る作品は、当然のことながら市川作品とはまったく異なる新しいものになるだろう。が、市川作品のように、スポーツの素晴らしさを改めて教えてくれる作品になることを期待したい。
(市川崑監督の『東京オリンピック』については、現在=2019年6月=東京都営地下鉄などで無料配布されている長田渚左編集長の『スポーツゴジラ』に、さらに詳しく書いてますので、興味のある方は是非ともお読みください) |