第1回 アルジェリアの洞窟壁画
スポーツの原義は日常生活を離れた非日常的行為。労働を離れた遊びの時空間。絵画や彫刻もスポーツの一種。広義のスポーツ(芸術)に描かれた狭義のスポーツ(身体活動)を見直してみる。
石器時代はマチスやピカソの時代だった。
洞窟の壁に描かれた狩猟民は、誰もが美しく踊り、舞い、躍動していた。弓を片手に狩に赴く青年は、四肢を見事に四方へ延ばし、現代のダンサーさながらに力強くジャンプしている。
発達した太腿、引き締まった足首と胴、しなやかに伸びた両腕。弓は武器でなく、ダンスの小道具に見える。
《肉体! それは今世紀の最も重要な発見である。二十世紀は自分の肉体を自ら示すことを決意した世紀である》とはモーリス・ベジャールの言葉だが、「発見」とは忘れ去ってしまったことに気づき、思い出し、再発見する行為のようだ。
日常の労働が疎外されることなく、非日常的な喜びと融合していた幸福な太古の狩猟民たちの時代。ポスト・モダンのパンセ・ソバージュ(野生の思考)を、紀元前数千年紀に生きていたピカソやマチスが見事な洞窟画として描き残したのだ。
二度目の五輪招致に成功した都知事は「スポーツを暮らしの中に」と言った。が、太古はオリンピックなどなくても、スポーツする肉体の喜びは日常に満ちていたのだ。
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第2回 マチス『ダンス』
すべてのスポーツは肉体表現の一種と言える。そしてダンス(舞踏)は、肉体表現(スポーツ)の基本であり根源である。
百メートルを人類最速の速さで駆け抜けるウサイン・ボルトも、空中で四回身体を捻る白井健三も、ゴール前でバイシクル・シュートを放つメッシも、相手の脚に飛び込んでタックルする吉田沙保里も、トリプル・アクセルを決める浅田真央も……スポーツマンやウーマンは、誰もが美しいダンスを舞い、踊っている。
そのスポーツの基本・根源をマチスは描いた。
緑の大地と青空、すなわち全世界を背景に、全裸の女性が五人、一つの輪になって踊る(まるでオリンピックの五輪の輪が一つになったように)。
子供が無邪気に描き殴ったような下手な筆遣いと色遣い。それだけに躍動感に満ちた五人の裸婦は上下前後左右に動き続ける。二次元のキャンパスの上で、生命感溢れるダンスは、四次元の時空に広がり永遠に続く。
いつまで見続けても見飽きない舞踏。
「ダンスの本質とは人間を、心の中の風景を表現すること」とはモダンダンスの開拓者マーサ・グレアムの言葉だが、ならば人間とは、なんと素晴らしい「心の中の風景」を持った生き物か。
踊る(スポーツする)喜び、人間の生の喜びは、マチスがこの一作に描き尽くした。 |