翻訳書を読むときは、どうしても、それが「良い訳」か「悪い訳」かということに思いをめぐらせてしまう。が、それはせいぜい訳者の力量を推量するだけにとどまる。そして「翻訳」という作業の根本的な意義や重要性を失念してしまう。じつは「翻訳」とは、「良し悪し」を云々する程度の問題ではない。単に「言葉を訳す」だけの作業ではないのだ。
本書を読んで、そのことを教えられた。
本書は、《翻訳は古代にもあった》と書く。いわれてみれば当然だが、多くの人々が(おそらく)気づかない事実から書き起こされている。紀元前3200年頃に文字を発明したメソポタミアのシュメール人が、それから1200年後にアッカド人によって滅ぼされると、早くも《シュメール=アッカド辞典》が編纂され、そこから現代にも通じる「翻訳」にまつわる諸問題が生じた、という。
紀元前190年頃にユダヤ人の学者が書いた『ベン・シラの知恵』という書物が、その孫の手によってギリシア語に翻訳されたとき、その序文につぎのような文章が記された。
《「懸命な努力」にもかかわらず、ヘブライ語を他の言語に移しかえると、どうしても意味のちがったものになってしまう。翻訳はときには正確さを欠いているかもしれない・・・》
このような嗟嘆(さたん)と寛恕(かんじょ)をもとめる訳者の気持ちは、もちろん今日の「翻訳」や「訳者」にもそのまま通じる。
さらに、イタリアにはじまった文芸復興運動が古代ギリシアの遺産を受け継いだアラビア文化の影響を抜きにしては語れない、という多くのひとが知っている事実に関しても、《翻訳が檜舞台におどりでた時代、それがルネサンスである》とズバリ書かれると、やはり改めて驚嘆し、納得しないわけにはいかない。
フランス・ルネサンスのパイオニアであるエティエンヌ・ドレは、16世紀に「翻訳論の五つの原則」を書きのこした。そのなかの《逐語訳になるほどに原文を敷き写しにしようとするな》という一文が、つぎの世紀に翻訳大論争を巻き起こす。
翻訳は原文に忠実であるべきか・・・、それとも原文から離れて訳文としての完成度を追求すべきか・・・。もちろん、これも、今日に通じるばかりか、なお未解決の「論争」といえる。
このように書き記された「翻訳の歴史」は、漢文から和文へという日本の翻訳史にも立ち寄り、「散歩道」(プロムナード)を歩くような気安さと楽しさをあふれさせながら、それがけっして特殊な一分野の歴史的断片などではなく、まさに人間の「文化交流の歴史」そのものにほかならないことを明示するに到る。
そして、さらに異文化との交流や軋轢や衝突のない文化など存在しないことに改めて気づかされ、「翻訳」という作業こそ、じつは「文化史」の中枢に位置しているという、何故か失念していた事実に気づかされ、愕然とさせられるのである。
考えてみれば、いや、考えるまでもなく、『聖書』も『論語』も『オデュッセイ』も、それを原語で読めるひとは、古今東西を問わずつねに圧倒的少数派であり、そこにはかならず、完全な翻訳などありえないと知りながらも、心血を注いで翻訳に取り組んだ翻訳者の呻吟(しんぎん)と苦闘が存在しているのだ。
本書に紹介されている《有名にして無名な翻訳家》たちの翻訳に取り組んだ姿――とりわけニュートンの『自然哲学の数学的原理』を訳したエミリー・デュ・シャトレや、ダーウィンの『種の起源』を訳したクレマンス・ロワイエといった女性翻訳家の姿――には、胸を打たれた。
にもかかわらず、翻訳にたずさわる「媒介者」たちは、オリジナリティを偏重する近代以降の価値観のため、今日ではその多大な労苦と成果の大きさにくらべて、低い評価しか得ることができなくなった、と著者は書きすすめ、中世以来の伝統ともいえる現代ヨーロッパの翻訳家たちの組織化、翻訳センターの設立といった努力を紹介する。
神はバベルの塔を造った人間を罰し、互いの言語を通じなくして混乱に陥(おとしい)れた。が、おそらくその差異の存在と、それを乗り越えようとする努力があったればこそ、逆に人間は、より豊饒な文化を実らせ、文明を前進させた、といえるにちがいない。
わずか2冊とはいえ、翻訳に取り組んだことがあり、その困難な作業からそそくさと尻尾を巻いて逃げ出した評者にとっては、なおさら翻訳という仕事の意義と重要性を思い知らされた一冊だった。
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<付記>
別に付記することでもないのですが、ロバート・ホワイティングの『和をもって日本となす』とロジャー・エンジェルの『シーズン・チケット』の「わずか2冊」を翻訳した小生は、いったん翻訳から「尻尾を巻いて逃げ出した」のですが、その後(一昨年から昨年にかけて)3冊目の翻訳セバスチャン・モフェットの『日本式サッカー革命』を訳出し、上梓しました。そしていまは、日本語で紹介したいと思えるいい本があれば、また挑戦したいと思っています。 |