コラム「ノンジャンル編」
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掲載日2012-05-30

この原稿は、雑誌『ミセス』2001年7月号の小生の連載企画『こんにちは旬の人』の第8回として、市川亀治郎さんに登場してもらったときに書いたものです。タイトルは『伝統とは「変える力」』。3年後に講談社から出版された拙著『天職人』という単行本のなかにも掲載しましたが、四代目市川猿之助の襲名をお祝いして、“蔵出し”したいと思います。

二代目市川亀治郎さん(現・四代目市川猿之助)――伝統とは「変える力」

 日本人も捨てたものではない。最近、心の底から、そう思うようになった。それは、この連載企画を通して体感したことでもある。

《旬の人》という〃切り口〃でアーティストやスポーツマンといった創造的な人々の話を聞く……というこの連載だが、これまで、すばらしい才能の持ち主に登場していただいた。さらに、会ってみたい異能異才が山ほどいる。読者の方や友人からも、様々な情報をいただく。聞けば、興味をそそられる人物ばかり。どうやら、人材不足は永田町と霞ヶ関近辺だけのようである。

 そんな思いを強めていたある日、編集担当のO君から、「歌舞伎役者の亀治郎に会ってみませんか」といわれた。

「ちょっと面白い人物で、彼の出ていた『国際都市平城京を演出した人々』というシンポジウムに行ったのですけど、小学校時代に鎌倉の寺をすべて見て回り、中学時代に京都、高校時代に奈良の寺を制覇し、藤原不比等が大嫌いらしくて……」

 ナルホド。寺や仏像のロマンが好きで、日本の官僚機構(律令制度)を創った人物が嫌い……というのは面白そう――と思いながら、口の中で、カメジロウ、カメジロウ……と呟いた。どこかで聞いた名前だが、思い出せない(亀治郎さん、すいません)。舞台を見たような気もするが、判然としない。

 そのうち、ハタと思い当たった。
 市川猿之助のスーパー歌舞伎『新・三国志』で、ビショヌレになった役者だ! そのことを思い出した途端、是非とも会いたくなった。

 私事で申し訳ないが、昨年のゴールデン・ウィークに、83歳の母親が鎌倉にある我が家へ遊びに来た。そこで、たまには親孝行でもと思って『新・三国志』に連れて行った。

 京都の南座のそばで暮らしている母親は、「芝居を見に行くのに電車に乗るのかいな」などとぼやきながらも、生まれて初めての新橋演舞場行きを喜び、「なんと、まあ、派手な舞台やこと」といいながら、アクロバットのような立ち回りや、大きな船がタイタニックのように沈む舞台や、猿之助お得意の宙乗りなど、スーパー歌舞伎を存分に楽しんだ。

 なかでも、30トンもの水がナイアガラのように流れ落ちるなかでの立ち回りには、老婆が子供に戻ったようにキャッキャッとはしゃいだ。そのとき、関羽(猿之助)の息子の関平役で暴れまくったのが亀治郎だった。

 膝まで水につかり、滝の水を頭から全身に浴び、剣を振り回した亀治郎は、敵を追って花道まで進み、その敵を見事に切って捨てると、たっぷりと水を含んだ長髪を、鏡獅子のように振りあげた。

 水飛沫(みずしぶき)が、客席にまで撒き散らされる。観客は、キャアアアと声をあげて水を避けた。わが母親も、若い女性のように黄色い声をあげて水から逃げた。いや、水のかかる位置から離れていたにもかかわらず、そんな反応を示した。たぶん、若い役者に、水をかけてほしかったのだろう。

 私は、思わず苦笑した。が、そのとき花道に立っていた役者の横顔がよかった。見事だった。まるで客席を睥睨するかのように、顎を突きあげていた。その姿は傲岸不遜のようでありながら、若き花形役者ならではの心意気と美臭が匂い立っていた。

 観客に媚びず、しかし、観客を侮らず、「何なら、もう少し、お水をおかけしましょうか……」とでもいいたげな若者の姿に向かって、私も私の母親も、大きな拍手を贈ったのだった。

 これは、並みの役者にはできない顔であり、立ち姿である。出雲の阿国なのか、近松なのか、いつの時代までさかのぼるべきなのか、私にはわからないが、おそらく日本の歌舞伎という何百年かに及ぶ伝統というものが創りあげた顔であり、立ち姿といえるものに違いない。

 今年のゴールデンウィークの新橋演舞場公演『新・三国志孔明編』を見たあと、亀治郎さんと食事をする機会を得た。

――歌舞伎役者というのは、やっていて、つまらなくないですか?

  のっけから無礼な質問をぶつけたのは、何百年かの伝統に支えられた人物は少々なことでは動じない、と踏んだからである。

 予想通り、若き歌舞伎役者は微塵もたじろがず、少しばかり怪訝な顔つきを返した。

――だって、昔からある決められた型を踏襲するだけでしょう。スーパー歌舞伎の場合だったら、まだ役者のやりたいことをできるかもしれませんが、古典は、型どおりですから。

 そういうと、亀治郎が笑った。
「型どおりじゃないですよ。いま、型と呼ばれているものも、すべて、昔の役者さんが創ったものです。だから、私が、新しいことをやれば、それが型になるんです」

――そういう新しい型を創ることは、歌舞伎の世界で許されてるんですか?

「もちろん、許されてますよ。だって、歌舞伎には演出家という存在がありませんから。役者が考えて演じているだけですから」

――しかし、破天荒な型破りはできないでしょう? たとえば、右手を前へ突き出して見得を切るときに、左手を前へ突き出すとかは、してはいけないことですよね。

「いや、やっても、いいんじゃないですか。むかし、鼻が高くて鼻高幸四郎などと呼ばれた役者さんがいて、自分の鼻の高さを強調するために、本来なら前を向いて見得を切るところを、横を向いて見得を切った。それが、いまも型として踏襲されています。だから新しい型を創ればいいんです。それが認められれば、伝統になるわけです」

――型とか伝統とか、窮屈じゃないですか?

「そんなことないですよ」

――ほんとに?

「ええ。だって、あなたも、いま、食事をするのに、お箸を使ってるじゃないですか」

 ははははは、と、あまりに見事な回答を返されて、思わず大声で笑ってしまった。なるほど。小学校の給食で、箸を、先の割れたスプーンに変えたところで、箸はなくならない。当然のことだ。箸のほうが、われわれ日本人には、使いやすいからである。日本食には、箸のほうが合理的だからである。

 かつて、型や伝統というものを破壊しようとした時代があった。家元、家系、師弟関係……すべてを封建的遺物と考え、否定する風潮があった。伝統は体制であり、体制は打倒すべし、という声の高まった時代があった。

 物心のついたときから、そんな時代の空気を吸い続けた人間としては、型とか伝統と聞いただけで否定したい気持ちが働く。歳を重ねて、その重要性が理解できるようになっても、「かたやぶり」に拍手を贈りたいと思う。

 もっとも、「かたやぶり」とは「型」があって初めて可能なことであり、「型」がないまま型を否定すれば「かたなし」でしかない。日本食を先割れスプーンで食べるようになれば、もちろん「かたなし」である。

 花形への道を歩みつつある若き歌舞伎役者に、「かたなし」の恐れはない。そして、「かたやぶり」への誘いにも、乗ろうとしない。「型を創る」という。否定せず、肯定する。肯定して、さらに伝統を前へ進めようとする。

「日本の伝統って、これまでの歴史のなかで全否定されたことがないじゃないですか。文化大革命のようなものもなかった。だから、逆に重要視されないんじゃないですか。なくなってしまったら、その重要さ、大切さが、もっとよくわかると思うんですけどね」

 1975年、亀治郎は、四代目市川段四郎の長男、市川猿之助の甥として生まれた。澤潟屋一門の御曹司は、他の御曹司と同様、五歳になる直前という物心も付かないときに、『義経千本桜』の安徳帝で初お目見え。本名の喜熨斗孝彦(きのしたかひこ)の名前で、初舞台を踏んだ。そして8歳になる直前に二代目亀治郎を襲名。

 しかし、父親に芸は教わらなかったという。
「ふつう、そうですよ。歌舞伎役者は自分の子供には教えません。ほかの家の方に教わるものです。だって、自分と同じクローンのような跡目ができても、仕方ないじゃないですか。役者は一代というでしょう」

――でも、それでは伝統が引き継がれないのでは?

「それで引き継がれないようなものは、伝統とは呼ばないのでしょうね」

 たしかに。伝統とは、強いものなのだ。
 幼いころから、踊りの巧さで注目され、とくに17歳のときに踊った猿之助との『連獅子』は絶賛されたという。

「どっちかと聞かれたら、お芝居よりも踊りのほうが好きですね。お芝居は、理性的な部分が残るというか、踊りよりも頭を使うじゃないですか。踊りは身体がすべてというか、のめりこむことができるから好きですね」

 とはいえ、役者の家系に生まれ、役者として育った亀治郎は、根っからの「舞台人」である。つまり、「のめりこむ」といっても、どこかで醒めている。どこかで、自分の行動を観察する、もう一人の自分を持っている。

「世阿弥のいった『離見の見』というやつですね。能役者は、のめりこんではいけない、どれだけ演技にはまっても、自分を観察する目を持たなければならない、ということです。だから、大学へ進んだときも、大学生を演じましたし、大学生を演じている自分を、常に見つめていました」

 澤潟屋(おもだかや)は、学業優先がモットーだという。父の段四郎も、叔父の猿之助も大学に進んだ。

 父の段四郎は、「中途半端なことはするな。大学に進むなら、きちんと大学の勉強をして卒業しろ。行かないなら舞台に徹しろ」といった。役者としての最も大事な時期に舞台を離れ、大学生活に没頭するのはマイナス、との声もあった。が、亀治郎は、澤潟屋の「伝統」どおり、大学を選んだ。

「父や叔父さんを見ればマイナスなんてないですからね。大学へは行かないほうがいい、という人には、父や叔父さんを見てください、といいました」

 そもそも歌舞伎役者が大学へ進むようになったのは、亀治郎の曾祖父のさらに父の時代、明治の初期に坪内逍遥の書いた新作台本が読めなかったことがきっかけだったという。
《前庭梧桐昌昌》(ゼンテイのゴトウ、ショウショウたり)が読めなかった。

「ただ、庭に桐の花が咲いているというだけなんですけどね。明治の文学者が難しい漢文調の表現をしたのを読めなかった。それがきっかけで、これからの役者は学問を身につけないと、という伝統が生まれたんです」

 しかし、亀治郎は「前庭梧桐昌昌」を読むために大学に入ったわけではなかった。近松やシェークスピアを読むためでもない。

 慶応大学文学部の国文科に進み、古事記や日本書紀を読み、中国語を学んだ亀治郎は、授業を何度かサボった。サボりたくなくても、サボってみた。試験が近づくと、ノートの貸し借りもした。ノートを借りる必要がなくても、借りてみた。麻雀もやった。とくに麻雀が好きでもなかったが、雀卓を囲んだ。コンパにも積極的に出席した。

 大学生のやっていることは、すべてやってみた。大学生を演じるには大学生のやることをやらなければならない、という考えから、あらゆる大学生のモデルを演じてみたのだ。
 夜遅くまで図書館に残り、一人で勉強もしてみた。そういう大学生を演じている自分を、もう一人の自分が見つめ、「おお、大学生をやっているな」と思ったという。

《見所より見る風姿は、わが離見なり》(花鏡)世阿弥の境地である。
「おもしろかったですよ。役者の世界では得られない経験ばかりですから」

 役者の世界では得られない経験を、役者として体験した。亀治郎は、根っからの役者である――といいたいところだが、目の前にいる若者は、あまりに理知的で、論理的である。

「根っからの役者」と呼ぶためには、たとえ歌舞伎のような伝統芸能の世界でも、やはり、自己顕示欲が強くなければならない。他人に見られることに酔い、ウケて喜び、少々露出症的な要素も必要なはずだ。

「ははははは。そのとおりですね」

――そういう性格には見えないけど……。

「だって役者の家系に生まれたんですよ。DNAに入ってないわけないじゃないですか」

 そうなのだ。まったくの愚問だった。目の前にいる若者の頭の回転が、なかなかに鋭く速いものだから、新橋演舞場のオバサマやオバアサマたちに、水をかけて喜ばせてあげた姿を失念してしまった。たしかに、亀治郎は、根っからの役者である。

 愚問ついでに、さらなる愚問を。

――歌舞伎の世界に不満はないですか?

「ないですね」

――若者は不満を抱くものだけど……。

「でも、不満な点は自分で変えればいいわけですから。政治とか、自分で変えられないことには、不満も抱きますけど……」

――変えられる?

「ええ。そういう立場にいますから」

 フランスの哲学者アランは、《悲観主義は気分の問題だが、楽観主義は意志の問題だ》という言葉を残した。おそらく、「改革」とか「革命」というものも、悲観し、否定するのではなく、楽観し、肯定するところから生まれるものに違いない。

「型」や「伝統」を見事に肯定してくれた亀治郎に、私は自分の49歳という年齢を感じながら、心のなかで大きな拍手を贈った。

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