X月X日
野良犬もどきの愛犬を散歩させながら、ふといつか読んだ本に書かれていた至言が頭に浮かんだ。「小説を書くと自伝だといわれ、自伝を書くと小説だといわれる」。たしかフィリップ・ロスの言葉だと記憶しているが、出典が思い出せない。頭がボケ始めたかな・・・と思いながら、そういえば最近はなぜか小説を読んでないことに気づく。作り話(フィクション)が嫌になったか・・・?
X月X日
久しぶりに小説を読む。伊坂幸太郎の『魔王』(講談社)。これは面白かった! 現実の(現在の)日本社会に限りなく近い舞台設定のなかでフィクションのパワーにあふれている。テーマは「政治」と「個人」。大江健三郎が『性的人間』で描いた構図と基本的に同じ。だが、「戦争中にさ、セックスはできても耳掻きはできないよ。たぶん」という台詞の見事さに舌を巻いた。
大江の「政治的人間/性的人間」を凌駕する「政治的人間/耳掻き人間」の超平和主義。そういえば「セックス」は「産めよ増やせよ」という政治スローガンにつながりかねない。
タイトルの『魔王』はシューベルトの名作からの拝借。その有名な歌曲のゲーテの詩の意味も、本書を読んで改めて理解できた。「魔王が迫ってくるよ、怖いよ・・・」と子供が泣く。父親には魔王が見えない。父親が気づくと、子供は死んでいた。「憲法を変えよう・・・」という声が高まる。多くの大人は、魔王の近づいていることに気づかない。はたして子供たちは大丈夫・・・?
X月X日
NHK『ブックレビュー』に出演。会うたびにいつもドキッとするほどの美人ピアニストで司会者の三舩優子さんから「読書に何かこだわりはありますか?」と訊かれる。「まったくナシ。手当たり次第。質より量ですね」それもこだわり・・・といえるかも・・・?
X月X日
手当たり次第で手にとった『黄金比はすべてを美しくするか?』(マリオ・リヴィオ著/早川書房)が大当たり。黄金比の面白さ(ハヤブサが獲物を捕るときに急降下するときの曲線もオウム貝の曲線もフィボナッチ数列の黄金螺旋である・・・といったこと)に、ヘエエ・・・を連発。
黄金比マニアの無邪気な間違い(ピラミッドやモナリザのなかに黄金比がある、というウソ=フィクション)も次々と暴露される。おまけに数学中心の話のなかに「どうすれば100歳まで生きられるか?(略)一番大事なのは、99歳までちゃんと生きること。あとの1年くらいはなんとかなる」などという至言のジョークも散りばめられている。
そういえば最近読んだ本のなかに「早く結婚して長く反省するほうが遅く結婚してすぐに後悔するよりも豊かな人生だと思う」という見事な至言を発見したが、至言だけ頭に残って出典を忘れた。『奇妙な情熱にかられて』(春日武彦・著/集英社新書)だったか、まさか『オシムの言葉』(木村元彦・著/集英社インターナショナル)ではなかったと思うが、やっぱりボケ始めたか?
それとも「質より量」の読書の弊害・・・? でも、読書って至言(中味)さえ頭に残ればいいのですよね・・・。 |