人間のあらゆる文化の根幹には宗教がある。神々の支配する姿から政治が生まれ、神々への捧げ物から料理が生まれ、神々を讃えるなかから芸術芸能、神々に近づく行為からスポーツ、神々の意向(神託)を伺うなかからギャンブルが生まれ・・・。
しかし一つだけ神々とは無縁の人間の営みがある。それは、経済だ。
神々は金を使わない。使う必要がない。金に困らない。よって経済には、人間が規範にできる神話が存在しない。そこで人間はワケのわからん経済と格闘することになる・・・。
森永卓郎『日本経済50の大疑問』(講談社現代新書)は、そんなワケのわからない経済を、少しは「わかった気」にさせてくれる。
《「景気の底割れ」とは?》《銀行に注入した七兆四五〇〇億円はどこへ?》といった誰もが思う日頃の疑問を取りあげ、丁寧に解説してくれる。
《経済に底はなく、無限に落ちていく可能性があるのです。(略)この底割れの恐怖を理解していない人が、信じられないほどたくさんいるのが、悲しいことに日本の現状です》《これまで実施してきた公的資金の注入は、穴の空いたバケツに水を注ぐのと同じでした》
《低金利の融資を可能にしてきた土地本位制を全面否定したことは大きな間違いなのです》
目ウロコの指摘もあれば、心から納得できる指摘もある。同じ著者による『バブルとデフレ』(同)を合わせ読めば、さらに経済がワカッタ気にもなる。
はたまた、深尾光洋『日本破綻 デフレと財政インフレを断て』には、日本経済の最悪の未来のシナリオとその処方箋も書かれており、吉川元忠『マネー敗戦』(文春新書)を読めば「マネー世界戦争」でのアメリカの戦略と日本の失態がよく理解できる。
しかし・・・ワカッタところで家計(ミクロ経済)が潤うわけでもなければ、世界や国家の経済(マクロ経済)の危機が確実に回避できるわけでもない。
経済に神話が存在しないとは、倫理が存在しないことでもある。人間の最も非倫理的な営みである経済に煩わされる暇があるなら、佐倉統『進化論という考え方』(講談社現代新書)でも読んで、人間という生き物の圧倒的な不思議さに思いを馳せたり、金子民雄『西域探検の世紀』(岩波新書)を読んで、世界(地球)の大きさと格闘する人間のたくましさに感動するほうが、精神衛生のうえでプラスとも思える。
そういえば森永の著書にも、《W杯の経済効果は?》という疑問に《きわめて小さい》と断言したうえで、《地域社会も楽しめるスポーツがある。そういう方向に進むのが、豊かな社会》と書いてあった。
《小学校のグラウンドを芝に張り替えたり、(略)地域のスポーツクラブをつくったりという動きがじわじわ出てくれば、これは金銭に換算しにくいですが、長期的な経済効果といえます》
倫理的に振る舞いにくい経済であればこそ、倫理を中心に語られるべきなのだろう。 |