開幕の近づいた第30回オリンピック・ロンドン大会は、はたしてどんな大会になるのか?
陸上競技では、やはり「黒人選手」の活躍に目を奪われそうだ。が、川島浩平『人種とスポーツ〜黒人は本当に「速く」「強い」のか』(中公新書・2012年)は、誰もが思う「人種論」のナンセンスさを教えてくれる。
たとえば400mリレーでは、日本記録よりジャマイカ記録のほうが速い。が、ドミニカ記録よりは日本記録のほうが速い。それはジャマイカの「黒人」の多くが陸上競技に励んでいるのに、ドミニカの「黒人」は野球をやっているからだという。
またマラソンや中長距離走で世界記録を独占するケニアやエチオピアの「黒人」は、ごく一部の地域に暮らす特定の部族の出身者で、その部族特有の長い距離を走る生活文化が影響を与えた、と考えられるという。
遺伝的要因によって優れた運動能力を生み出す資質が共有されるとしても、その影響力は一般に想定されいるよりはるかに小さいらしい。
しかも歴史や文化や地理的条件等によって種類の異なる民族や部族は、ユーラシア大陸よりもアフリカ大陸のほうが、はるかに多く存在する。その違いを無視して「黒人は運動能力が……」と一言で語ることこそ、ナンセンスなのだ。
小川勝『オリンピックと商業主義』(集英社新書・2012年)は第1回アテネ大会以来の五輪を収支決算で振り返る。
そして入場料収入(個人の金)よりもテレビ放送権料と公式スポンサーの協賛金(企業の金)の割合が上回り、「商業主義」に走ったとされる84年ロス大会も、黒字が出たのは「商業化」の結果ではなく、支出を減らしたからと総括。
実際、モントリオールやモスクワと同じ支出だったらロス大会もやはり「大きな赤字」だったと、組織委員長のユベロスの手腕を的確に再評価している。
そして、その後のIOC(国際オリンピック委員会)のマーケティング、放送権料の急騰、大会の肥大化なども詳しく検討した本書は、「オリンピック商業化」の過去の歴史を詳しく教えてくれる。
では、未来のオリンピックは、どうなるのか?
今年のロンドン大会で、BBC(英国放送協会)は3D中継やネットTVによる全競技中継を計画。IOCは「アスリート・ハブ」と題した交流サイト(SNS=ソーシャル・ネットワーク・サービス)を開始。ボルトや北島などがIOC管理下のツイッターやフェイスブックで、世界中のフォロワーと交流しはじめた。
このようなデジタル映像、ソーシャルメディアがさらに発展するに違いない2020年、二度目の五輪招致を企図する東京は、どんな大会を目指すのか?
『東京オリンピック1964』(新潮社・09年)は「戦後の復興」を世界にアピールした当時の写真や文章を集めている。
開会式を見て《二十年前のやはり十月、同じ競技場に私はいた。出征してゆく学徒兵たちを秋雨のグラウンドに立って見送った》と書く杉本苑子は《オリンピックの意義が、神宮競技場の土にたくましく根をおろしてくれることを……》と結んだ。
他に、堀口大學、石川達三、武田泰淳、柴田錬三郎、三島由紀夫、曾野綾子、市川崑、黛敏郎、山口瞳、石原慎太郎、北杜夫……など大勢の執筆者が、華やいだ興奮や静かな喜びに満ちた文章を寄せている。
それから半世紀を経て、「震災からの復興五輪」でも、同様の輝きや喜びにあふれた文章が並ぶだろうか?
高杉良の『祖国へ、熱き思いを 東京にオリンピックを呼んだ男』(講談社文庫、92年)は、ロサンゼルス在住の日系二世・フレッド和田の評伝小説。
数多くの外交資料を繙いた波多野勝『東京オリンピックへの遥かな道 招致活動の軌跡1930―1964』(草思社・04年)でも、フレッド和田の活動が際立つ。
戦前の貧困や太平洋戦争の苦難に挫けず、戦後は青果商としてスーパーの経営に成功し、フジヤマのトビウオと呼ばれた日本水泳陣のアメリカ遠征を支援。東京五輪招致でも私費を投じて南米各国を訪問し、IOC委員の説得に心血を注いだ。
「戦後の復興五輪」の成功の裏には、このような無私の精神を貫く見事な「昭和の男」が存在していた。
はたして現在の平成日本に「第2のフレッド和田」を生み出す力はあるのだろうか……? |