この原稿は、（株）ヤナセのPR誌『YANASE LIFE PLAISIR』2013年3〜4月号の巻頭コラムFRONTVIEWに書いたものです。いよいよ東京東銀座の新しい歌舞伎座オープン。チケットはなかなか買えないでしょうが、そのうちナマで歌舞伎を愉しみたいものです……という期待を込めての“蔵出し”です。

　私は、オペラも好きだが、歌舞伎も大好き……という以上に、師走の顔見世で有名な京都の南座に歩いて１分（！）という祇園町に生まれ育ったので、歌舞伎は常に身近にあった。

　父も母も芝居と言えば歌舞伎のことと思っていたくらいで、母親は晩御飯の用意を済ませたあと、開演10分前くらいに「今日は（中村）雁治郎の曾根崎（心中）やから……」などと言いながら和服に着替え、南座へ小走りに駆け出したのを覚えている。

　父親は、「知らざあ言って聞かせやしょう……」とか「こいつぁあ春から縁起がいいわい……」などと、日常の会話のなかで歌舞伎の台詞を口にしたり、晩酌で気分が良くなると、「旅の〜衣は〜篠懸の〜……」と、『勧進帳』の長唄の一節を唸り出したり……。

　私が「就職」を意識しないまま、いつの間にかフリーランスの物書き稼業を始めたのも、父親がよく口にしていた、「せまじきものは宮仕え〜」という『菅原伝授手習鑑』の『寺子屋』の名台詞が頭に刷り込まれたからかもしれない？

　もっとも、歌舞伎に本気で興味を持ち始めたのは中学生から高校に進む頃で、幼稚園や小学生で南座に連れて行かれるのは、苦痛以外の何物でもなかった。

　それでも「慣れ」というのは怖ろしいもので、いつの間にか歌舞伎に「慣れ」て、中学や高校で歌舞伎の集団鑑賞があったりすると、友人に向かって「ここで弁慶が泣くのが見所！」などとしたり顔で説明したりするようになった。

　さらに、高校１年のときに、驚くべき事件が起こった。私の通っていた私立高校の50歳くらいの外国人英語教師が、南座の舞台に立ったのだ。

　今は行われなくなったが、かつては顔見世興行が終わったあとの大晦日の前日に、顔見世で使った舞台装置を用い、歌舞伎役者の指導を受け、京都の町衆が舞台に立つ「素人歌舞伎」という催しがあった。

　その年の演し物は『白波五人男 青砥稿花紅彩画（あおとぞうしはなのにしきえ）稲瀬川勢揃いの場』。

　日本駄右衛門や弁天小僧など五人の白波（盗人）が河岸に勢揃いして名乗りをあげる有名な場面に、大柄で見事に禿げ上がった頭と、白人特有のピンク色の笑顔で人気があったポーランド人が、丁髷の鬘に着流し姿で番傘を持って登場。

「サテ、ドンジリニ、ヒケエシワァ〜……」とやったものだから客席は大ウケ。

　外国人が歌舞伎を……というだけでも拍手喝采なのに、じつは我が高校はカトリック系で、その英語教師は神父。日頃は神に仕える厳格な神父が、「白羽に脅す人殺し……」「念仏嫌えな南郷力丸（発音は、ネンプッツ・キレエ〜ナ〜ナンゴ〜・リッキマ〜ル〜だったと記憶している）」と、犯罪人の台詞を堂々と口にしたものだから、我々生徒には二重三重にバカウケ。

「イヨッ、先生！」「神父様！」と掛け声を飛ばした先輩もいて、大盛りあがり。残念ながらまだ１年生だった私は掛け声を発する勇気はなかったが、歌舞伎の世界はナンデモアリと納得し、ますます歌舞伎が大好きになったのだった。

　今年の4月3日、建て替え工事で閉鎖されていた東京東銀座の歌舞伎座が、いよいよオープンする。昨年末の中村勘三郎、今年の市川團十郎と二人続いた大看板の逝去を乗り越え、さらに面白い舞台が見られるに違いない。

　えっ？　歌舞伎は苦手ですって？　ご冗談でしょ。オペラも歌舞伎も大衆娯楽。所詮は慣れですよ。