アッピア街道を走破してみませんか?
もう十年以上前のことになるが、旧知のテレビディレクターから電話が入り、椅子から転げ落ちそうになったのを、今も記憶している。
そんな素晴らしいことを、なんで俺に!?
毎日放送の『道浪漫』という番組の第1回目の旅人として登場してほしいというのだ。もちろん私は驚きと喜びを懸命に押し隠し、二つ返事でその企画に飛びついた。
しかし、なぜ自分に白羽の矢が立ったのか、その疑問はロケのスケジュール表を見たときに氷解した。ローマからイタリア半島の長靴のかかとにある港町ブリンディシまで、アッピア街道600qを3日間で走り抜けるという。もちろん、ただ自動車で走るのではない。
ローマ帝国の政治の中心フォロ・ロマーノやカラカラ浴場、郊外のカタコンブや競技場、ナポリに近い海辺にあるローマ皇帝の別荘、モッツァレーラ・チーズの工場、内陸に入って歴代皇帝が遊んだ温泉、旧石器時代の洞窟、今は世界遺産となった白い石造りの小さな家が並ぶ御伽の国のようなアルベロベッロの街並み・・・それらをすべて3日間で取材するというのだ。毎朝5時半起床。夜の10時までスケジュールが組まれている。
なるほどこれは体力勝負である。どんな事情が製作者側にあったかは知らないが、名のあるタレントさんや美人女優には務まるまい。そこで転がり込んできた幸運は、じつに素晴らしいものだった。
今もローマ帝国時代の馬車や戦車の轍の跡が残るアッピア街道を辿りながらの南進は、ミラノやトリノやフィレンツェなどのイタリア北部とはまったく異なる「原イタリア」ともいうべき相貌を見せてくれた。あまりにも明るい太陽は、それを愛でる余裕など与えてくれず、荒々しい容貌を見せる山々や断崖とともに、自然の苛酷さを教えてくれた。そんな風土のなかに残る帝国の残骸は、英雄時代の人間たちの雄々しい営みの見事さと同時に、その虚しさを醸し出していた。
そして、ほぼ一直線に伸びるアッピウス・クラウディウス・カエクスの建設した古代の高速道路の終点ブリンディシの港の波打ち際まで辿り着いたとき、全身にぶるぶるっと電気が走るのを感じた。港の桟橋突端には東を指した矢印の看板があり、そこに"Grecia"と書かれていたのだ。
そうなのだ!
アッピア街道はローマからギリシアへと続いているのだ。ギリシアの先には広大な中東の砂漠や中央アジアの大平原が広がり、さらに巨大なインド亜大陸、歴代王朝四千年の攻防があった中華帝国、そしてその東、一衣帯水の極東の地に日出ずる国が・・・。
いまにも沈もうとする大きな太陽の赤々と燃えるような陽射しを背に受け、真っ青に広がる穏やかな地中海の遙か水平線を見つめながら、そんな想いが頭のなかを駆け巡った。そのとき、三日間600qものハードスケジュールの疲れも手伝ってか、テレビの仕事など忘れて、まったく言葉を失ってしまった。
「すべて」をつなぐ道を築き、その道を歩いた多くの先人たちに対して、ただただ「乾杯(ブリンディシ)!」と叫ぶほかなかった。 |