昔はよかったなあ若いモンはみなスポーツに熱中してな。一年中とんだりはねたりボールと戯れたり。そんなことばかりやっておった。何しろスポーツだけやっておっても食っていけた時代じゃったからな。ええ時代じゃったよ。なかでも人気のあったスポーツは野球じゃった。もちろんわしも野球をやった。高校野球というのがあってな。高校生は勉強などせんでも野球をやっとればそれよかった。だれにも文句なんかいわれんかったぞ。いや、それどころか、野球のよくできる高校生は英雄じゃった。夏の甲子園大会というのはあってな。全国の地方大会を勝ち抜いたチームが集まり試合をしたんじゃが、そのときはもう国じゅうがお祭り騒ぎでな。国営放送は連日全試合をテレビ中継し,サラリーマンは仕事をやめてトトカルチョに没頭し、新聞は核戦争が始まったことよりも大きく報道したもんじゃ。高校生は甲子園大会に出場すれば爆弾三勇士や乃木大将や東郷元帥どころかプーチンやズイジンピン以上のスーパースターになれるというんでな。わしも色紙にサインの練習をしながら,なんとか甲子園に出ようとがんばったもんじゃった。幸い。わしは甲子園に出れた。わしらより強いチームがあったんじゃがな。そこの選手に昔土耳古と呼ばれた女郎屋の女を近づけ、孕んだの堕ろしたのと騒ぎを起こさせ,それをマスコミに垂れ込んで出場停止に追いこんだんじゃ。けけけけけ。甲子園大会ちうのは表向きは高校生らしくなどと、えらい糞真面目だったんでな。わしらも甲子園に出るまでは酒の誘いや女の誘惑、オートバイや四輪の運転には気を付けたもんじゃ。そういう意味では甲子園をめざすちうのは少少窮屈な面もあった。けどいったん甲子園に出れば実入りも多かった。大学の入学金は無料(タダ)になる。一流企業が入社してくれと頼みに来る。なかには職業野球から声がかかって、たった18歳で何千万ものカネを手に入れたやつもいた。それに甲子園に出れば女に不自由しなくなった。どこの宿舎にもわしらの相手をしてくれるアルバイトの女の子がおったんじゃ。おまけにコーシエンギャルと呼ばれた女の子もわんさか集まってきてな。宿舎の窓からおいでおいでと手を振るとホイホイ部屋に入って来てアッサリ服を脱いだもんじゃ。けけけけけけけ。ずっと昔は日本旅館の大部屋が宿舎で,女とナニするときは不自由したらしいが,わしらの時代からはホテルが使われるようになってな。個室の内側から鍵をかければナニをしようがタバコを吸おうが酒を飲もうが,もうしたい邦題じゃった。監督や部長といった大人どもも、甲子園に出れば学校に億単位の祝儀が集まる。自分たちは一流の教育者と評価される。ベストセラーを出版することもできる。高価(たか)いトレードマネーを手にして給料のイイ高校に移ること主できる。だからわしらがナニしようが多めに見てくれたもんじゃ。それにいったん甲子園への出場が決まって大会が始まれば、他の学校が出られるわけじゃナシ。だれもわしらの行為をマスコミに垂れ込むやつなどおらんかった。マスコミも甲子園球児はみんな純粋という報道協定を結んでおったから、わしらがナニをやっても見て見ぬフリをした。そこでわしには大阪に3人もの女ができてな。大会が終わってからも。大阪へよく遊びに行ったもんじゃった。何。ちょっとそれはやりすぎじゃと?馬鹿言っちゃイカン。わしらは新聞を売るため、学校の宣伝をするため、郷土の政治家の名前を売るために、真夏夫炎天下で熱中症の恐怖と闘いながら連日試合をやらされたんじゃぞ。そのため、わしは今でも腰が……肩が……肱が……あいてててててて。なのに女の2,3人で……あいててててて。けど、まあ、ホント昔はよかったなあ。あんな素晴らしい時代は、もう来ないだろうなあ。(この原稿は甲子園での高校野球大会に出場した人物へのインタヴューをもと、筒井康隆氏の小説『昔はよかったなあ』を参考にさせていただいて書いたモノです)
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