スポーツが好き。本を読むのも好き。映画を観るのはもっと好き。だからスポーツの本は誰よりも沢山読んでいる。スポーツ映画も誰よりも多く観ていると思う。
だからこそ一冊のスポーツ本、一本のスポーツ映画を選ぶのは至難の技。何しろスポーツそのものの種類が多すぎる。野球の本とボクシングの本、サッカー映画とラグビー映画、そのどちらかを選ぶことなど不可能だ。
が、そんなことを言い出しても始まらない。とにかく心を動かされたスポーツ作品を片っ端から並べてみよう。そこから何かが見えてくるかもしれない。というわけで、まずはサッカーから。
サッカー本のイチオシはジョナサン・ウィルソン『孤高の守護神ゴールキーパー進化論』(白水社)かな。GKという特別な存在を、その誕生から取りあげ、歴史に残る優秀なGKを紹介し、様々な国の国柄まで滲み出させているのは見事だ。沢田啓明『マラカナンの悲劇』(新潮社)も面白い。1950年のW杯で地元開催のブラジルが隣国ウルグアイに敗れたことを通してブラジルとブラジル人にとってのサッカーとは何か? を描き出している。
映画なら『ザ・カップ〜夢のアンテナ』が素晴らしい。ヒマラヤ山麓の僧院でチベット仏教の修行を続ける少年僧たちが、何としてでもフランスW杯のテレビ中継を観ようとする。フランスはチベット独立を支持している国でもあり、彼らは一計を企て、サッカーを知らない老総長の説得に成功。パラポラアンテナも手に入れ、W杯でフランスの優勝を観ることができる。大興奮のあと、再び静かに読経と黙想の日々に戻る少年僧たちの爽やかな顔。何ともほんわかとした雰囲気のなかでサッカーの魅力が描かれている。
W杯とは対極にある世界ランク202位のブータンと203位の英国領モンセラトが闘った世界最下位を決める試合のドキュメンタリー映画『ジ・アザー・ファイナル』も良い映画だ。 2002年日韓W杯決勝と同じ日に行われた試合は4−0でブータンの勝利。しかしカップは半分にして両国に。ニューハーフの選手の活躍など、世界一ではなく、本当のスポーツの魅力を考え直させられる作品だ。
第二次大戦中の連合軍捕虜とドイツ・チームとの試合を描いたジョン・ヒューストン監督シルヴェスター・スタローン主演の『勝利への脱出』(ペレも出演)や、ヨコハマ・フットボール映画祭(12年)で上映された『二人のエスコバル』も素晴らしい映画だ。コロンビア代表主将のアンドレス・エスコバル(94年W杯で優勝候補とされながらオウンゴールで決勝T進出ならず、帰国後射殺される)と、麻薬組織メデジン・カルテルのボスで麻薬王のパブロ・エスコバル(アンドレスが所属したチームのオーナーでもある)を対照的に取りあげ、サッカーと社会(と裏社会)の関係を描いた素晴らしいドキュメンタリーだった。
サッカーの社会的存在を知るにはヴィットリオ・デ・シーカ監督の名作『自転車泥棒』と『ひまわり』も見落とせない。前者は第二次大戦後のローマで、仕事のために買ったばかりの自転車を盗まれた父親が、幼い子供を連れてサッカー場の周囲を探し回る。後者は戦時中に美女(ソフィア・ローレン)と結婚した夫(マルチェロ・マストロヤンニ)が、嫉妬したファシスト党員によってソビエトとの戦争の過酷な最前線に送り込まれる。そして戦後までファシスト党員の男の求愛を拒み通した妻は、夫の生存情報を得てソ連へ赴き、イタリア人ならサッカー場に姿を見せるはずだと夫を捜し回る。しかし……。
これらの映画はサッカーそのものを描いているわけではない。が、イタリア人とサッカーの関係を知るうえで興味深い。
『新黄金の七人7×7』は七人の悪党がロンドンの造幣局へ忍び込み、偽札ならぬ本物の札を大量に印刷して盗み出す喜劇映画。その大胆な犯行を実行するのがFAカップ決勝戦の日。イギリス全国民が(造幣局の警備員も)サッカーのTV中継に熱中するなか、悪巧みは大成功と思われたが……との筋書も、サッカーと英国社会の関係が伺えて面白い。
ラグビー映画なら、マンデラ大統領の下でアパルトヘイトから脱した南アフリカでのW杯を描いた『インビクタス〜負けざる男たち』(C・イーストウッド監督/モーガン・フリーマン、マット・デイモン主演)にトドメを刺す。
アメリカン・フットボールの映画には、デンセル・ワシントン主演の『タイタンズを忘れない』(ボアズ・イェーキン監督)やウォーレン・ベイティ監督主演の『天国から来たチャンピオン』、サンドラ・ブロック主演『しあわせの隠れ場所』(ジョン・リー・ハンコック監督)など素晴らしいハリウッド映画も多い。が、なかでもアル・パチーノ、キャメロンディアスなどが出演した『エニイ・ギブン・サンデー』が見事。さすがはオリヴァ・ストーン監督の作品で、黒人の差別問題やスポーツにおける商業主義の問題点などが、アメフトのコーチの人生を描くなかに織り込まれている。
フットボール以上に映画や本のテーマとして取りあげられているのが野球だ。
ゲイリー・クーパーの映画『打撃王(原題はプライド・オヴ・ヤンキース)』(サム・ウッド監督)は、コロンビア大学出身のエリートの道でなく、愛する野球の道を選んだルー・ゲーリッグの実話。ヤンキースの大打者として2130試合連続出場を記録しながら筋萎縮症のために引退。間もなく死去した生涯を描いたこの映画は、少年野球の楽しさやメジャーリーガーたちの豪放さと猥雑さ、ファンの身勝手な心情までも描いたうえで、気高い人格者ゲーリッグの姿を浮き彫りにしている。
死期の迫るなかでの引退試合で「私は世界一幸せな男」とファンの前で涙したゲーリー・クーパー演じるルー・ゲーリッグの姿は涙なしには観られない。おまけにこの映画にはゲーリッグとともにヤンキースの黄金時代を築いたベーブ・ルース本人が出演。達者な演技を披露しているのも興味深い。
試合中に中断が多い野球は、映画やドラマに適している。ケヴィン・コスナー主演の『さよならゲーム』(ロン・シェルトん監督/スーザン・サランドン共演)はマイナーリーグのロートル・キャッチャーが若い投手を育てるなかで、野球の素晴らしさが描かれた佳作。同じくコスナーの『ラブ・オブ・ザ・ゲーム』(サム・ライミ監督)は生まれ初めて心から愛せる女性と出会った引退直前の大投手が、その女性から別れを告げられるなかで完全試合に挑む物語。
コスナーは、W・P・キンセラの小説『シューレス・ジョー』が原作の映画『フィールド・オブ・ドリームズ』(フィル・アルデン・ロビンソン監督)にも主演。自宅のあるアイオワの砂糖黍(サトウキビ)畑を潰して野球場を造ると、昔のワールドシリーズでの八百長事件で球界を追放されたジョー・ジャクソン(シューレス・ジョー=裸足のジョー)を初めとする八人のメジャーリーガーが現れ、さらに自分の父親も現れるという物語。 粗筋を書くと、なんとも平板な味気ない文章にしかならないが、貧しいなかから必死に働いて豊かになったアメリカ中産階級の人々のあいだに、常にメジャーリーグ・ベースボールが存在していたことが美しく描かれ、アメリカの著名な野球作家ロジャー・カーンの言葉「野球とはアメリカの父子相伝の文化である」ーーが思い出される。そして最後に出現した父親と、必ずしも良好な関係ではなかった息子がキャッチボールをする(理解し合う)シーンは、(野球好きの男なら)涙が溢れ出て止まらないシーンと言える。
子供の頃からリトルリーグでも活躍したというコスナーは、『ティン・カップ』(ロン・シェルトン監督)というゴルフ映画にも出演。天才的才能を持ちながら攻撃一本槍でレッスンプロに甘んじているゴルファーが、一念発起して全米プロで大活躍……という面白い役柄を演じている。
スポーツ映画は(特にハリウッドの野球映画は)ハッピーエンドの大勝利か、勝てなくても爽やかな印象の残るモノが多い。戦時中に男子の多くが兵隊に取られていなくなったあとの女子野球を描いた『プリティリーグ』(ベニー・マーシャル監督/トム・ハンクス、マドンナ出演)。少年野球のなかで活躍する少女を取りあげた『がんばれベアーズ』。弱小チームのインディアンズが勝ち進む『メジャーリーグ』(デヴィッド・S・ウォード監督/トム・ベレンジャー、チャーリー・シーン出演)なども理屈抜きに面白い。またドキュメンタリーとしても、弱小チームだったアスレチックスがデータ野球で勝ち進む『マネーボール』(ベネット・ミラー監督/ブラッド・ピット主演)、メジャー初の黒人選手を描いた『42〜世界を変えた男』(ブライアン・ヘルクランド監督/チャドウィック・ボーズマン/ハリソン・フォード出演)なども気持ち良く楽しめる映画だ。
日本の野球映画でも、野球によって明るく育つ終戦後の子供たちを描いた『瀬戸内少年野球団』(阿久悠/原作・篠田正浩・監督/夏目雅子・郷ひろみ・渡辺謙・他出演)、終戦直後の小倉で、エスカレートする「組の抗争」を鎮めるために行われたヤクザの対抗野球試合を面白く描いた『ダイナマイトどんどん』(岡本喜八・監督/菅原文太・主演)、謎の覆面投手が大活躍して阪神タイガースを優勝に導く『ミスター・ルーキー』(伊坂聡・監督/長嶋一茂・主演/ランディ・バース特別出演)など、話の内容は単純でも、スポーツの楽しさや喜びが、そのまま溢れ出ている映画と言えるだろう。
そんななかで戦前のバンクーバーに実在した日系野球チーム朝日軍の活躍を描くなかで、戦争を迎えて敵国人となった日本人の悲劇も描いた『バンクーバーの朝日』(石井裕也監督/妻夫木聡・主演)は、少々異色の素晴らしい野球映画と言える。
野球の本について書き始めると、それだけで与えられた紙幅を尽くしてしまうに違いないが、一冊だけ選ぶとすれば12本のアメリカ野球短編小説を集めたアンソロジー『12人の指名打者』(文春文庫)。J・サーバー『消えたピンチ・ヒッター』W・L・シュラム『馬が野球wやらない理由』など抱腹絶倒のうちに溢れ出る野球の素晴らしさが味わえるはずだ。
そんな野球の楽しさとは対照的なのが、ボクシングをテーマにした映画や本だ。
マーティン・スコセッシ監督ロバート・デ・ニーロ主演で実在した世界ミドル級王者ジェイク・ラモッタの生涯を描いた『レイジング・ブル』は、打たれても前に出るブルファイターが主人公。その無骨な試合展開と同様の不器用な人生で、引退後はバーを経営したりコメディ芸人になったり、未成年の少女をバーの客に斡旋した罪で刑務所に入ったり。デ・ニーロはその物悲しい人生を見事に演じた。
他にも素晴らしいボクシング映画は目白押しで、ラモッタと同世代のミドル級王者で、やはりブルファイターとして破天荒な人生を生きたロッキー・グラジアノの生涯をポール・ニューマン主演で描いた『傷だらけの人生』(監督は『ウエストサイド物語』や『サウンド・オブ・ミュージック』も手掛けた巨匠ロバート・ワイズ)。クリント・イーストウッドが監督主演し、女子ボクシングの世界を題材に、家庭と宗教と安楽死の問題を厳しく問いかけた『ミリオンダラー・ベイ
ビー』。マイケル・マン監督ウィル・スミス主演で、黒人差別と闘い反ベトナム戦争を訴えた世界王者モハメド・アリの生涯を描いた『アリ』。同じ内容をアリ自身の主演で映画化した『モハメド・アリ・ザ・グレイテスト1964〜74)』(ウィリアム・クライン監督)。
ハンフリー・ボガート主演でマフィアに操られて世界王者となったイタリア移民の大男プリモ・カルネラの悲劇を描いた『殴られる男』(マーク・ロブソン監督)は、最後のシーンで主役のスポーツ記者が「ボクシングは国の法律で禁止されるべき」とタイプを打つ。が、ボクシング・ファンで、裏社会のあり方を非難していた原作者のバッド・シュルバーグは、この幕切れを大いに非難したという。
彼の原作でエリア・カザン監督マーロン・ブランド主演の『波止場』や、ルキーノ・ヴィスコンティ監督アラン・ドロン主演の『若者のすべて』では、元ボクサーの実直な青年が、マフィアなどの裏社会と闘ったり、社会の不条理に苦しみ悩む様子が描かれている。そのとき元ボクサーという経歴(ルールに則って力を発揮する青年)が、映画の「核」になっているのだ。
大人気を博したS・スタローン主演の『ロッキー』は、真面目な無骨者が成り上がる単純な筋書ながら、『ロッキー4炎の友情』ではソ連(現・ロシア)の王者と闘い、ボクシングというスポーツが政治的な背景のなかで生まれ育ったスポーツであることを描いてみせた。他にも愛する子供のために復活しようとしてリング上で亡くなってしまう『チャンプ』(F・ゼッフィレッリ監督/J・ボイト主演/フェイ・ダナウェイ共演)や、「浪花のロッキー」と呼ばれた人気ボクサー赤井英和が、復帰戦で脳挫傷の重症を負ってしまう自伝を自ら演じた『どついたるねん』(阪本順治監督)も、素晴らしい映画だった。
それに世界ライト・ヘビー級王者で、モハメド・アリのスパーリングパートナーを務めたボクサーのドキュメンタリー映画『ホゼ・トーレス』(勅使河原宏・監督)もボクサーとボクシングというスポーツを考えるうえで極めて興味深い作品だった。「インテリ・ボクサー」とも呼ばれたトーレスは、モハメド・アリを描いた『カシアス・クレイ』(朝日新聞社)やマイク・タイソンを描いた『ビッグファイト、ビッグマネー《拳の告白》』(山際淳司・訳/竹書房)など、自ら見事な著作も残している。
……と、ここまで書いて、与えられた紙面がなくなりそうになった。まだモーター・スポーツや自転車競技に関する映画や本、それにオリンピックや格闘技や武道に関する映画や本、あ、バスケットボールも忘れている……と焦っても、もう遅い。それは別の機会に譲るとして、ならば、オススメの本一冊と、映画一本を、どーするか?
こうなりゃ誰にも文句の言われない(もちろん自分も納得づくの)、どんな作品とも較べられない、比較を超越した凄い作品を選ぶしかない。それが「スポーツ本」や「スポーツ映画」と呼んで良いのかのかどうか、と訝(いぶか)る人もいるだろうし、だから小生も少々躊躇したのだが、いや、それらは紛れもないスポーツというジャンルの大傑作と言うべきなのだ。
その作品とは、まずは鈴木隆『けんかえれじい』(岩波現代文庫)。主人公は戦前の蛮カラ学生学生の南部麒六。若者らしい焦燥感(彼自身の言葉で言えば「満身創痍感」)に満たされていた彼は、毎日を喧嘩に明け暮れ、礫(つぶて=石)の投げ方、陣地の作り方などの研究に余念がなく、岡山旧制中学を放校処分に。会津の高校へ進んでも喧嘩の毎日を過ごすが、やがて太平洋戦争が始まり、早大に進学したあとB25の東京爆撃に遭遇。そこでさらに喧嘩の血を沸き立たせた麒六は生涯最大の「米英との喧嘩」に挑むべく帝国陸軍に入隊。
しかし喧嘩(戦争)どころか、そこにあったのは、不条理な軍隊規則や上官の命令。さらに飢えと病気。自ら病気に倒れた麒六に向かって、唯一信頼できる上官は「俺もお前も、所詮はまあ模糊とした悲歌(エレジー)街道を行くものよ」という。その言葉を胸に麒六は中国大陸のなかで軍隊から消える。
痛快な青春小説が、最後は痛烈な反戦小説へ。喧嘩という肌感覚で生きてきた男の感性は、肉体感覚で生きるアスリートに通じるものがあるはずだ。この小説は鈴木清順監督で映画化もされ、、麒六(高橋英樹)と道子(浅野順子)の恋愛感情なども面白いが、上京した時点で終わるのが(そこに北一輝が登場するのだが)少々残念だ。
そこで一本の映画は、アーネスト・ヘミングウェイ原作ジョン・スタージェス監督スペンサー・トレーシー主演『老人と海』を選びたい。
小舟に乗った一人の老漁師が、カリブ海で巨大なカジキと大格闘。綱の先の餌に食らいついたカジキは老人を引き倒す。顔面から流血した老人は、筋肉に食い込み血の滲む背中の綱の痛みに耐え、両腕と手を痺らせながらも闘う。「ヤツがどんなに立派で素晴らしくても殺す。人間がどんなことをできるか、ヤツにわからせてやる」
死闘は二昼夜も続き、それに勝利した老人は、カジキを銛で刺し殺し、小舟に結わいつける。が、鮫の群れに襲われ、再び大格闘となるが、カジキは骨を残すだけで全部食われてしまう。疲れ切って帰港した老人は、ひとり呟く。「負けてしまえば気楽なもの。こんなに気楽だとは思わなかった。しかし、さて何に負けたのか?」そして老人はベッドに入り、眠りにつきライオン(強さの象徴? 強さへの憧れ?)の夢を見る。
私は、この小説の凄さが長年わからなかった。老人がカジキと格闘して、鮫と格闘して、だから何なのだ? カジキはライバル? 鮫は悪人?(不条理な社会?) いろいろ考えられるだろうが、この小説は身体感覚がすべてのハードボイルド小説で、スポーツを「身体を用いた挑戦」と考えるなら、ヘミングウェイはこの小説で、スポーツの(一瞬の)栄光と挫折(清々しいとも言える敗北)のすべてを描いたのだ(と私は考えたい)。映画は、ヘミングウェイ自身も製作に協力したという。
鈴木隆やヘミングウェイには、こんな凄い作品をこの世に残してくれてありがとう、と感謝して頭を下げるほかないですね。
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