《より速くCitius より高くAltius より強くFortius》 これは「近代オリンピックのモットー(標語)」で、古代オリンピックには存在しなかった言葉だ。
1981年高等学校の校長をしていたドミニコ会のアンリ・ディドン神父が考案し、高校生の陸上競技大会で使ったもので、それを3年後の1894年、IOC(国際オリンピック委員会)の設立時にクーベルタン男爵が、近代オリンピックのモットーにするよう提案し、承認されたという。
古代オリンピックにも200m前後を走り、速さを競う競走(スタジオン走)は存在した。が、それは争って走る走者を押し倒したり、足を引っかけてもよく、「速さ」だけでなく「強さ」も競うものだった。
実際ある場所から別の場所への移動には、途中で狼や山賊や敵と出くわす可能性もあり、昔は足が速いだけではダメで、強さも必要だったのだ。
ところが産業革命で蒸気機関車が生まれると、誰もがその「速さ」に驚いた。
最初のうちは「俺のほうが速く走れる」「俺が育てた馬のほうが……」と、人や馬が機関車に勝つこともあったが、そのうち人や馬は、どこまで走っても疲れない汽車に勝てなくなり、さらに自動車も現れ、人々は「速く走る(だけの)価値」を認めるようになったのだった。
そしてさらに速くモノを作る機械、様々な作業を速く行う機械、速く計算する機械(コンピュータ)も現れ、「速さ」は近代社会で最高の価値となったのだった。
オリンピックでも最初のうちはレスリングのヘビー級チャンピオンが、最も「強い」アスリートとして最高の王者と讃えられた。
が、最近では100m走を最も「速く」走るアスリートや、マラソンで2時間を切りそうなランナーが、いちばん注目されるようになっている。 「より強く」から「より速く」の時代へ。その次は、どんな「走り方(価値)」が評価される時代が来るのだろうか…?
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