わたしがスポーツを好きになったきっかけは、はっきりしている。それは小学6年生のときに見た東京オリンピックだった。
2週間にわたって一日10時間近く、学校でも家でもテレビを見続け、三宅義信の重量挙げに拳を握りしめ、ボブ・ヘイズの快走に唖然とし、アベベ・ビキラの哲人のような表情に畏敬の念を抱き、ショランダーの水飛沫(みずしぶき)に圧倒された。さらに、レスリング、ボート、ホッケー、自転車、馬術、フェンシングなど、それまで見たこともなかったスポーツ競技のおもしろさに驚き、胸を熱くし、そして、スポーツという人間の行為のすばらしさ、その多彩にして豊穣な楽しさを満喫した。
いまもわたしの部屋の本棚には、当時出版された大判のカラー・グラビア誌である『東京オリンピック』(世界文化社/320円=いま思うと安い!)が置いてあり、それをとりだすと、当時の感動が鮮やかによみがえる。
しかし、東京オリンピックに関して、長いあいだ理解できなかったことがひとつだけあった。それは、子供心にもっとも感動したのが開会式だった、という事実である。
「行進の先頭はギリシア、旗手はジョージ・マルセロス君であります・・・」
わたしはいまでもNHKのアナウンサーの実況を暗(そら)で口にすることができる。もちろんオリンピック行進曲や祝典行進曲やファンファーレのメロディをうたうこともできる。昭和天皇の開会宣言も、アベリー・ブランデージIOC会長の日本語での挨拶も、すべて記憶している。それくらいわたしは開会式に熱中し、興奮させられた。
さまざまな顔つきと肌の色をしたアスリートたちが世界各地の民族衣装を身にまとい、つぎからつぎへと行進する姿を見るだけで、心臓の高鳴りをおぼえた。
一方で、開会式とは単なる儀式ではないか、それをオリンピックの感動といっていいのだろうか・・・という疑問が心の底にわだかまりつづけた。
その疑問が氷解したのは、つい最近のことである。
スポーツの歴史やその起源に関する本を読みあさった結果、古代ギリシアのオリンピックがオリンポスの神々をたたえる祭典だったように、あらゆるスポーツの起源がすべて祭りの儀式に由来していることがわかった。さらに近代オリンピックの創始者であるクーベルタンは、人間の肉体競技(身体表現)のみならず、芸術活動(精神表現)もオリンピック・スポーツの一部としてとらえ、建築、バレエ、音楽、絵画、彫刻なども芸術競技としてメダルをあたえ、文学(詩や小説や戯曲)も正式種目に加えようと企図していたことを知ることもできた(カール・ディーム編『ピエール・ド・クーベルタン オリンピックの回想』ベースボールマガジン社)。
つまり、宗教的な祭りを起源とする「文化」のすべてをあつめたものがオリンピックというわけなのだ。
もっとも、現在のオリンピックでは身体競技のみが注目され、芸術週間(競技として順位を競うことはなくなったが、オリンピック期間中の開催が義務づけられている芸術の祭典)など、まったく注目されていない(というか、報道されることがない)。そして開会式や閉会式といった儀式も、ただスポーツ大会の雰囲気を盛りあげるためだけのイベントになってしまったように思われる(追記=アトランタやシドニーではそうだったが、さすがにアテネ大会の開閉会式は見事だった)。
アレン・ガットマン(清水哲男訳)の『スポーツと現代アメリカ』(原題は『From Ritual to Record=儀式から記録へ』TBSブリタニカ)は、そのような“聖”から“俗”へのスポーツの変遷を軸にした文化論として興味深い一冊といえる。また、ダフ・ハート・デイビス(岸本完司訳)の『ヒトラーへの聖火』(東京書籍)は、ナチスがスポーツをふたたび“聖”化しようとして、結局“俗”(政治)の世界にまみれてしまう経緯が描かれていておもしろい。さらに『ヴァーグナー家の人々』(清水多古著・中公新書)には、バイロイトという土地でワーグナーの楽劇の“聖”性を維持しようとしつつ“俗”(ナチスと政治)にまみれる芸術の歴史が描かれている。
スポーツもアートも、意図的に“聖”化すると醜悪なシロモノになってしまう。が、冠大会や冠コンサートなど、スポーツとアートが“俗”(カネ)にまみれきった現在、両者がともに、かつては非日常的な“祭り”という共通の根をもつ“聖”なるものであった、という認識を、いまあらためて想起することも重要なことといえるだろう。 |