掲載日2003-10-20 |
父の勲章 『日本語のこころ』(文春文庫・収録) |
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昨年十二月、父が亡くなった。大正七年生まれ、享年八十。平均寿命が延びたとはいえ、天寿といっていいだろう。だから、とくに感慨はなかった。最後の二年は脳梗塞が進み、意のままに動かない身体にいらだち、看病する母に疲れが見え始めていたので、むしろほっとした、というのが正直なところだった。
そんな父に、病に冒され出したころになって、ひとつの自慢話が生まれた。それは、脳梗塞や脳溢血の状態を調べるためのMRIの検査が受けられない、ということだった。詳しいことは知らないが、MRI(磁気共鳴映像装置)は、磁気を照射して身体の内側の断面映像を作成する。そのため、腕時計やネックレスといった金属類を身につけていると、機械がうまく作動しない。父が、京大付属病院ではじめてその装置の検査を受けたとき、若い担当医は、少しばかり強い口調で、「腕時計ははずしてくださいといったでしょう」と注意したという。
「腕時計なんてしてまへんで。さっきはずしましたがな」父がそう答えると、「だったら、ネックレスか何かしてるんですか」と、つづけて担当医が訊いた。「そんな女のするようなもん、 したことありまへんがな」
「おかしなあ・・・」そういいながら別室から出てきた担当医は、父が上半身裸で横になり、金属類を何も身につけていないことを確認すると、「おかしいなあ・・・」と、もういちど口にしながら別室に戻った。そして、「じゃあ、はじめますよ」とマイクを通した声が父の耳に達した次の瞬間、父は、「イタタタタタ」といって顔面を押さえ、ベッドから飛び起きたという。
「痛い、痛い。やめてんか、やめてんか。顔が引っ張られる。思い出した、思い出した」
「いったい、どうしたんですか」
驚いて別室から出てきた担当医に向かって、父は、かつて中国戦線の武漢付近の最前線で、目の前で手榴弾が爆発して顔面に負傷を負った話をした。そのときの手榴弾の破片が入ったままになっている。きっと、その鉄片が磁気に反応したに違いない・・・。
担当医は半信半疑だったが、レントゲン検査の結果、左目の下に黒い影があるのを発見し、MRI検査をあきらめたという。
「六十年経って、勲章が出てきよった」
自分の死期の近づいたことを悟り、かなり気弱になっていた父も、その話をするときだけは笑顔を見せた。葬式が済み、火葬も終わり、父が骨だけになって炉から出てきたとき、わたしは、真っ先に鉄片を探した。いや、探すまでもなかった。頭蓋骨の左目の下に、眼窩と同じくらいの大きな穴があいていた。そして、その穴に、紛れもない鉄の塊が食い込んでいた。
父は、「小指頭大」という軍医の言葉を思い出していたが、手のひらに載せた鉄片は、親指ほどの大きさがあった。高熱で焼かれたせいかもしれないが、それにしても、母や姉をはじめ、その場にいた親戚の誰もが思わず息をのむほどの大きさだった。
四十九日のあと、その鉄片を入れるためのケースを探した。京都の寺内宝石店でなかなか適当なのが見つからなくて困っていると、「いったい何を入れるのですか?」と訊かれたので、事情を話した。すると、店の人が、売り物ではないダイヤモンドの原石を入れる小さなケースをプレゼントしてくれた。
いま、父の頭蓋に六十年間宿った鉄片は、我が家のリビングルームの父の遺影の横に飾られたそのケースのなかで、鈍い光を放っている。その光の意味が、わたしには、まだ、よくわからない。
生前、父がまだ元気に電気屋の仕事をしていたころ、「三度の応召で、何度も死にそうになった」話をよく聞かされた。目の下のかすかな傷や、腕を貫いた弾痕も見せられた。また、その話か、と子供心にうんざりもした。しかし、いま、父の骨とともに出てきた鉄片が、わたしにとって最高の宝物になっていることだけは確かである。
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