歴史は往々にして誤って語り継がれることがある。たとえば日本で最初のプロ野球チームは読売巨人軍である、といった具合に。
あるいは少し詳しく、昭和9年(1934年)ベーブ・ルースらの米大リーグ選抜チームの来日で結成された大日本東京野球倶楽部が巨人軍の前身で、それ以前に芝浦協会や宝塚協会と称する職業野球団が存在したと記述した文献もある。
しかしそれらは、あくまでも「正史」以前の「前史」として扱われてきた。
本書は膨大な資料の渉猟と綿密な取材によって、そのような「誤った歴史」を鮮やかに覆し、戦前の日本の野球史を正確かつ鋭い考察によって書き改めた快著である。
本書によって一人の人物が浮かびあがる。河野安通志。明治17年石川県に生まれた彼は、一家の横浜転居で野球と出逢い、横浜商業、明治学院を経て早大に進学。
《トルストイに心酔した非暴力、非戦の平和主義者》安部磯雄の指導する野球部で投手として活躍。日露戦争中に《日本のスポーツ界にとっても初の海外遠征》となる米国遠征に参加。アイアンマン(鉄人)と呼ばれる活躍のうえに米国野球事情を具(つぶさ)に観察した。
帰国後、東京朝日新聞による「野球害毒論」や、文部省による野球統制令など、「反野球(反外国文化)」の圧力が強まるなかで、学生野球は精神修養を伴う《武士道野球》を免罪符にした。が、その反面、大人気から《興行性を獲得》。
河野は、選手が《映画俳優並みのスターにな》り、《娯楽化した学生野球を正すため、大衆の楽しみとしての野球の受け皿はプロが担うべき》として、芝浦協会と呼ばれたプロ野球チームを創設。
しかし職業野球は《不純で自堕落な行為》と見られたうえ、《武士道野球のイメージが野球商売人のせいで穢れる》と球界は猛反発。
選手も集まらず、朝鮮半島出身の選手を加え、日本から逃げ出すように朝鮮から満州へと《市場》を開拓したが、河野の《理想のプロ野球》は実らずに失敗。
読売主導で始まった職業野球リーグにも、イーグルスを率いて参加した河野は、紀元2600(昭和15)年の記念事業として満州リーグ全72試合(帯同9試合)を成功させる。
が、《日本の野球史に大きな足跡を残しながら、その評価は不当に低》く、《戦後のプロ野球復興》の機会も与えられなかった。
その人物に加えて、朝鮮人プロ野球選手にも光を当てた本書こそ、戦前の日本野球の「正史」と言うことができるだろう。 |