コラム「ノンジャンル編」
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掲載日2006-06-10

この原稿は新潮社の『波』(2000年6月号)に書いたものです。そういえば、京都弁を使うケッタイナ外国人(失礼・笑)のロジャー・パルバースさんとは最近御無沙汰やなぁ・・・と思いながら“蔵出し”します。

ロジャー・パルバース著『旅する帽子』
生身のラフカディオ・ハーンが幻想のなかに甦る

 拝啓 ロジャー様 ご無沙汰しています。
 貴兄の最新作『旅する帽子』、一気に読了させていただきました。あまりのおもしろさに息もつかず・・・というのは陳腐な言葉ですが、まさにラフカディオ・ハーン自身が、《わたくし》という一人称を用いて自分の生涯を幻想小説に仕立てあげたような、そんなリアリティを感じ、一気に読んでしまいました。

 「幻想小説」と勝手に断じながら、「リアリティ」と書くのはオカシイですね。ハーンが「怪談」を書く際に求めた「オーセンティシティ」といいかえたほうがいいかもしれません。いや、それ以前に、実在の人物を《わたくし》という一人称の主人公で表現したこの小説を、「幻想小説」と断じてしまうことのほうが問題かもしれません。しかし、誰が何といおうと(貴兄が否定しようと)、わたしは、この作品を「幻想小説」と呼びたいと思います。じつに見事な幻想小説です。

 実在という一事と、事実という客観性に、何の疑念も挟まず頼り切った「ノン・フィクション」なる作品が横行するなかで、貴兄のこの作品は、実在と事実を幻想にまで昇華させた作品に思えます。じつは、それこそ「小説」と呼ぶべき作業にほかならないのでしょうが、小説がノン・フィクションとの境目を失いつつある今日、あえて貴兄の作品を、幻想小説と呼びたいと思うのです。

 ギリシア人の母とアイルランド人の父のあいだに生まれ、イギリスとフランスで教育を受け、西インド諸島やアメリカでジャーナリストとして活躍し、最後に日本へわたって日本文化に触れたばかりか、日本文化の担い手にまでなったラフカディオ・ハーンの波瀾万丈の生涯は、ノンフィクション作家が先を争って手を出すテーマといえるでしょう。が、どんな調査能力に長けたノンフィクション作家が、どんな犀利な分析を試みても、次のような貴兄の文章はものにできなかったはずです。

 《歪曲はわたくしが物事を判断する基準だった》《わたくしは、自分の夢のなかでよく誰かと激論するが、それは普通のことである(略)。わたくしは、哲学的なことはすべて夢のなかで分析し、起きている時間はもっぱら観察にあてた》

 あるいは、異人であるハーンに向かって宗教論争を挑む老住職が、ハーンの友人のまだ幼い妹を犯すという逸話。その様子を隙間から覗き見て、老住職を《心底軽蔑し》ながらも、《ねたんでいたのかもしれない・・・あの娘の無垢さを自分のものにできなかったことを》というハーンのつぶやき。さらに、日本人妻をめとったハーンが、新婚初夜に帯と格闘したあと、全裸になった新妻を虫眼鏡で観察し、ギリシア人と比較するシーン・・・。

 それらの「逸話」(エピソード)、一般社会から少々偏屈な性格と見られた文学者の心の奥底を見事に抉りだすと同時に、「根っこ」(アイデンティティ)を持たない西洋人が「異質の文化」に触れた瞬間のすべてを表現したものであり、細切れの事実からノン・フィクションを紡ぎだすのではなく、幻想を構築する想像力がないと不可能なことといえるでしょう。そしてわれわれ読者は、そのような幻想のなかから、「思想」や「生涯」などではない、ハーンの身体の一挙手一投足を、目に見るようにとらえることができるのです。

 わたしは、ハーンの日記や手紙を読んだことはありません。どれだけの資料が残され、それを貴兄がどのように活用されたのか、まるで想像できません。が、それはどうでもいいことでしょう。子供のころ、ハーンの『耳なし芳一』を読んで、夜眠れなくなったのと同様、貴兄の作品を読んで、わたしの目の前には、ハーンの姿がまざまざと浮かんだのですから。背が低く、片目を病み、和服を着て、下駄を履き、駄洒落を口にしたかと思うと、肩を丸めて何やら考え込むハーンの姿が。

 それにしても、この幻想小説に横溢する実在感(リアリティ)に満ちた信憑性(オーセンティシティ)は、いったい、どこから生じているのでしょう?
 《自分が日本に憧憬を抱くことは早くにわかったが、それはこの地が、完全に遠近法を欠いた国であり、極端な情熱と裏合わせに、一つの動かない、ややもすれば無関心と映るまなざしを備えた国であったからだ》《矛盾とつぎはぎと本能のかたまりのようなこの社会に、安易な上に感傷的な効果を簡単に信じてしまうところばかりが目につくこの社会に・・・》とは、ハーンの見た明治の日本のことですか? それとも、ロジャー、貴兄の見た現代日本のことでしょうか?

 それは、まあ、どっちも・・・というのがおそらく正解なのでしょうが、だから、アメリカ生まれのヨーロッパ育ちで、オーストラリアと日本を行き来して京都弁を喋る貴兄が「ハーンになりきる」ことができた、というわけでもあるのでしょう。

 西洋文明を憧憬の眼差しで見つめる若者に向かって、いずれは雨水のために朽ち果ててゆく濡れ縁のような《ものを創り出せるのが天才の文化なのです》と説き、日本の蚊に刺されると、《ハーンの血が日本の血と混じり合った(略)。これこそが世界中でもっとも自然な快楽であった》と感動するロジャー・パルバース――ではなくて、ラフカディオ・ハーンは、日本に暮らし、日本の「芯」に触れるなかで、《知識とはすなわち錯覚であり、無知こそが人間の名誉である》ということを《後(おく)ればせながら(略)理解》します。そして、《わたくしの作品などというものは、本当に・・・木霊のようなもの(just an echo)です》といいます。さらに《わたくしは神々のために闘って参りましたが、向こうはわたくしの言うことに耳を傾けてくださいません。はっはっはっ》と笑います。「神々」ではなく「神(ゴッド)の沈黙」に苦しんだ宣教師たちと較べて、なんと豊かな笑いでしょう。

 貴兄の書かれたハーンの生涯は、「異文化の衝突」とか「差別」などを超越した「人間の実存」を示すものであると、わたしには思われます。「幻想的実存小説」――そもそも人間の実存が(東洋では)幻想みたいなものですから、そんなケッタイナ感想を抱いても、貴兄は、きっと許してくださることでしょう。

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