本書はモハメド・アリの評伝の決定版である。
2段組580ページの大部は、アリの曾祖父を奴隷としながら「奴隷制反対」を唱えた上院議員ヘンリー・クレイ・ジュニアから始まる(アリも彼の白人の血を引いているらしい)。
少年時代に自転車を盗まれたことで担当の警官からボクシングを習い始め、急速に上達した彼はローマ五輪で優勝……という有名なエピソードのほか、スクールバスの横を走る目立ちたがり屋の姿や、飛行機恐怖症が激しい繊細な性格など、興味深い話題が満載。
ただし金メダルを黒人の役に立たないと故郷の川に捨てたのは、都市伝説の類らしい。
プロ転向後、刑務所あがりの世界王者リストンを倒し、一躍若きヒーローとなったのも束の間。
「過激派ブラック・モスレム」と言われたイスラム教集団に入信。「ベトコンには何の恨みもない」とベトナム戦争に反対して王座を剥奪され、4年近くリングを去ることを余儀なくされた空白の後、黒人の故郷アフリカの地で、誰もが史上最強と認めたフォアマンを、KOして王座に復活。
その後は、「蝶のように舞い蜂のように刺す」往年の華麗な足捌き(フットワーク)も、鋭いパンチも消え、弛んだ身体を曝して足掻く姿にファンは呆れもし、同情もする。
晩年はパーキンソン病に苦しみながらアトランタ五輪聖火の最終点火者として大喝采……。
そんなアリの波瀾万丈の表舞台と同時に、心に響くのは、アリの体調を心配しながらも、息子の莫大な稼ぎで生活が乱れる父親や、激しい言い争いの末の夫人との離婚の顛末、心の平穏を取り戻す再婚女性との会話、自宅を突然訪ねてくる友人や見知らぬファンや学校での講演を依頼する教師や子供……そして、それらをすべて受け入れるアリの姿だ。
彼の激動の人生は60〜80年代のアメリカそのものと言える。
モハメド・アリとは「メディア」だったのだ。アメリカの正義も悪も、建前も矛盾も、政治も家庭も……アリはアメリカという国と社会をそのまま自分の人生に映し出した。
本物のスーパースターとは、そういう存在のことを言うなのだろう。
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