私が10歳(昭和35年)前後のことだった。
父の弟(私の叔父)が初めて私たちの暮らす冬の京都を訪れ、我が家に一泊したあと、郷里徳島の山深い村へ帰るので、夜の京都駅まで見送りに行った。
薄暗いホームに立った叔父は、私を強く抱きしめたあと、父とも堅く抱き合ってから、夜行列車に乗り込んだ。その行為に、オーバーな人だな……と、餓鬼の私は思った。が、さらに驚いたのは汽笛一声、列車が動き出すと分厚いコートを着た叔父が、上半身を窓から乗り出し、腕を大きく左右に振り出したことだった。
危ない……と思うほど、窓の外へ腰まで投げ出し、叔父は我々に向かって腕を大きく振り続けた。父も、爪先立ちして体を伸ばし、大きく腕を振り続ける。私は、ちょっと唖然としてただ立ち尽くした。
煙を吐く機関車に引かれた列車は、緩くカーヴを描き、徐々にスピードを増す。窓から身を乗り出し、腕を振り続ける叔父の姿は、やがて小さな点となり、列車の最後尾とともに漆黒の闇のなかに消えた。
汽車と連絡船とバスを乗り継ぎ、丸一日かけた徹夜の旅で再会を果たした兄(父)と弟(叔父)は、兵隊として戦争を経験していた。二人は運良く生き残ったが、十人兄弟のなかには戦死者も何人か出た。
そのことを大人になって知ったとき、私は、夜行列車の窓から身を乗り出した叔父の姿を思い出した。見送る父の姿も、思い出された。それは、東海道新幹線が開通する五年ほど前、二度と目にすることのない光景だった。 |