《かつて陸奥(みちのく)に、とてつもなく強いラグビーチームがあった。おもに北海道や東北の無名の高校出身者を鍛え上げ、最先端のラグビー理論をいち早く取り入れて、強さと展開力とを併せ持つフォワードとバックスを作った。そして、そこにひとりの天才が加わることで、そのチームは常勝軍団となった》
《ひとりの天才》とは、もちろん明治大学出身の松尾雄治のことである。
彼の「東京のセンス」が「東北の粘り」と融合したラグビーは日本中の人気を集める。その見事な勝利をリアルタイムで目にした評者のような者には、本書に書かれた文章は熱い興奮を甦らせ、ノスタルジーを掻き立てられる。
と同時に、著者とともに大きな疑問を抱え込むことになる。日本のラグビーは、どうなってしまったのか?
《釜石のラガーたちはアマチュアだった。会社員だった》しかし時代は変わり、今では《釜石型の補強》では強いチームが作れず、勝てなくなった。
とはいえ、外国人選手の導入とプロ化の推進の結果、《日本のラグビーがW杯で勝つようになったわけではな》く《競技人口も観客動員も減っている》。ということは、《長い目で見たファン層の拡大や、ラグビー界全体の底上げには役立っていない》ばかりか《かえって失ったものがあるのではないか》……。
これらの疑問や問題提起はラグビー界に止まらない。
閉塞気味の日本社会全体にも当てはまる。とりわけ「3・11」以降、新しい価値観を模索する日本社会にとって、かつて被災地に花咲いた栄光の日々には何かヒントがあるはずだ。
もちろん事態は単純ではない。不況で企業スポーツは大きく変節した。クラブチームとして継続する釜石シーウェイブスの維持だけでも苦労は大変だろう。
しかし釜石ラグビーの過去の栄光も、ただ時代に合致したわけではない。そこには本書に明記された通り、合理的な計画とそれを実現しようとする強い意志があった。
現在は過去の結果であり未来の原因―――そのことを思えば、本書は新たな東北、未来の日本を築くための大切な教科書になりうるはずだ。 |