栃木、宮城、滋賀、石川、茨城、熊本、福岡、島根、岐阜……これは、初代横綱明石志賀之助以来、歴代横綱の出身地を順に並べたものだ(重複は除く)。
徳川幕府の時代、江戸や浪花の大都会で人気を博した大相撲興行は、地方の国々出身の力士たちの活躍によって盛んになった。
いや、神代の昔に出雲出身の野見宿禰(のみのすくね)が、大和(都)の当麻蹴速(たいまのけはや)を破って以来、大相撲は地方出身の力自慢が都で活躍する姿を、同じく地方から都へ出てきた同郷者たちが「お国自慢」として贔屓し、応援するなかで発展したと言える。
従って江戸時代とは格段に交通が発達した21世紀の今日は、都(都会)には世界中から力自慢の大男たちが集まるようになり、ハワイ、東サモア、モンゴルなどの出身力士が横綱になり、エストニア、ブルガリアなどの出身力士も優勝賜杯を握るようになった。航空網によって地球が狭くなったのだから、それらは当然の結果と言うべきだろう。
彼ら「外(と)つ国」(都から遠く離れた国)からやって来た力士たちも都の大相撲のしきたりに従い、大銀杏を結い、まわしを締め、土俵の上で四股を踏み、大地を踏み固め、五穀豊穣を祈願する。あるいは羽織袴を身に付け、夏は鯔背(いなせ)に浴衣を纏(まと)い、大和言葉(日本語)を話し、大きな手形を押した色紙に、毛筆で墨痕(ぼっこん)鮮(あざや)やかに四股名を書く。
そんな日本文化の継承者たちを、外国人呼ばわりするのは笑止千万。ましてやTシャツ姿でジーパンを履いた若者がハンバーガーやフライドポテトを口にしながら、最近は外国人横綱ばかり……などと嘆くのも本末転倒。もともと大相撲とは、地方(外つ国)の出身者が都で活躍する姿を、同郷の出身者が都で応援するという文化だったのだ。
……と、ここまで理解したうえで、初場所の琴奨菊の大活躍、日本出身力士十年ぶりの優勝を喜びたい。それは私も日本出身者であり、日本人だから、という以外に理由はない。狭くなった地球上で、日本という地域に暮らす相撲ファンとして、同郷者の活躍は、やはり嬉しいものだ。
大正6(1917)年に史上初の浪花出身の横綱大錦が誕生したときや、昭和24(1949)年に初めて江戸っ子横綱東富士が生まれたときも、大阪や東京の都会で生まれ育った相撲ファンは大喜びしたという。それと同じ気持ちだ。もちろん琴奨菊と同じ筑紫の国(福岡県)に住む人々や出身者は、喜びも一入(ひとしお)だろう。
都市(都)には多くの異質な人々が集まり、その人々の共通の話題となる文化が生まれる。大相撲もオリンピックも、そのような必要性のなかから生まれた都市の文化と言えるのだ。 |