毎年末、テレビや新聞のマスコミは、今年の重大事件を取りあげ、一年を振り返る。2011(平成23)年はどのメディアも、重大事件のトップに東日本大震災を選んだ。
それは当然のことだが、大震災から受けた影響は、同じ日本人でも様々に大きく異なった。もちろん岩手、宮城、福島の東北3県太平洋沿岸地域に住んでいた人々の受けた被害が、物質的にも精神的にもきわめて大きかったことは言うまでもない。
が、あまり話題にならなかったことで、けっして小さくない影響を受けたのが、私も関係していたクラシック音楽の世界だった。
というのは、2011年はグスタフ・マーラーという作曲家(1860〜1911)の「没後100年」にあたり、前年の「生誕150年」の記念の年から、ちょっとした「マーラー・ブーム」が続いていた。
マーラーといえば、彼の作曲した『交響曲第五番』の「アダージェット」と呼ばれる第4楽章が、映画界の巨匠ルキーノ・ヴィスコンティ監督の名作『ヴェニスに死す』に使われたり、バレエ界の巨匠モーリス・ベジャールが振り付けたり……。
80年代には、王維や李白や孟浩然といった中国の詩人の漢詩のドイツ語訳を使った『大地の歌』という交響曲の一部が、ウィスキーのCM音楽に使われたり…、最近ではマーラーと19歳年下の彼の妻アルマとの愛憎関係を描いた映画『君に捧げるアダージョ』が、女性の間で人気を博したり……。
そんなこんなで、クラシック音楽に興味のない人でも、どこかでマーラーの音楽を耳にしたことがあるはずだ。
そのマーラーの記念すべき年ということで、神奈川フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者である金聖響さんは、昨年からマーラーの交響曲の連続演奏と取り組んでいた。
そのうえ、小生が聞き役・まとめ役となって『マーラーの交響曲』というマーラーの音楽の入門書(講談社現代新書)も出版する予定でいた。
ところがそこへ「3・11」東日本大震災が起きたのだ。それは金聖響さんの指揮する神奈川フィルが、マーラーの『交響曲第六番「悲劇的」』を演奏する前日の出来事だった。
会場は横浜市とはいえ、首都圏の交通は大混乱。鎌倉に住む小生も横浜まで辿り着くことができず、しかし金聖響さんは、会場の半分以上が空席の700人ほどの熱心な聴衆の前で、「一生涯、絶対に忘れられない演奏会を行えた」という。
何しろ「悲劇的」と題された交響曲は、人間の力では絶対に避けられない悲痛な出来事を音楽によって描いた(ともいえる)作品なのだ(実際、打楽器奏者によって巨大な木槌が振り下ろされ、ドスンという大きな鈍い音で人間を襲う悲劇が表現されている)。
「最初は、よりにもよって、こんな時に、この音楽を演奏してもいいのか……とも思いました。が、マーラーの音楽には、どれにも深い鎮魂の響きが含まれ、逆に今こそマーラーを演奏しなければ、と思いました…」
いまに私の時代が来る……と、生前のマーラーは口にした。その言葉が、こんな形で極東の島国で現実になるとは、いかに天才マーラーでも想像できなかったことだろう。
入門書『マーラーの交響曲』も半年遅れで完成し、私自身「記念の年の鎮魂」に、ぎりぎり間に合った……と胸を撫で下ろした一年でした。 |