《夏草やベースボールの人遠し》
私がこの十七文字に出逢ったのは、たしか今から30年くらい前。30歳を超え、スポーツライターとしての活動も順調に軌道に乗っていた頃のことだった、と記憶している。
一読した瞬間、これは素晴らしい一句だと思った。いや、俳句の良し悪しなど私にはわからない。が、小学生の頃の夏休み、京都祇園の建仁寺の境内で、照りつける太陽などお構いなしに、草野球の熱中していた時のことが思い出された。
昔の自分の姿を、30歳代になった自分が懐かしく眺めている……そんな夏の日の情景が目に浮かんだのだ。おそらく子規も、夏草の向こうで野球に熱中している自分を、遠くから眺める視点を持っていたに違いない。
子規は、本当に野球が好きだった。心の底から野球というゲーム(遊戯)に興奮していた。そして、そんな自分を愛していた。彼の残した野球に関する俳句や和歌に接すると、そう確信できる。
《恋知らぬ猫のふりなり球遊び》
猫が球遊びに熱中するように、一心不乱に野球に没入する。そんな自分を疑問なく肯定する。漱石の猫とは大違い。明治の知識人の胸には宿りがたい素直さを、子規は野球で身に付けたようだ。
《打ち揚ぐるボールは高く雲に入りて又落ちくる人の手の中に》
《いまやかの三つのベースに人満ちてそぞろに胸の打ち騒ぐかな》
この素晴らしい興奮は、野球に興味を持たない人には理解できないだろう。いや、草野球に興じたことのない人には、と言ったほうがいいかもしれない。
「日本を離れて七日セ・リーグの首位争いがひょいと気になる」――こんな三十一文字では、スポーツ新聞の順位表は目に浮かぶだけで、野球の世界は見えてこない。
子規は、本当に野球が好きだったのだ。これは野球に限らず、スポーツを語るうえで、絶対に忘れてはならない原理だと思う。 |