ラグビーのW杯にバレーボールのW杯。そして世界陸上。少し前には柔道の世界選手権が注目され、八村選手のNBA入りやバスケのW杯も騒がれた。
巨人と西武のリーグ優勝も忘れてはならないし、貴景勝の大関復帰や新体操フェアリー・ジャパンも世界選手権で種目別金メダル!……。
スポーツの話題は連日目白押し。この状態,この調子で、来年の東京オリンピック・パラリンピックに雪崩れ込むのだろう。
ビッグ・イベントだけではない。太鼓腹で脂肪太りの身体を筋肉質で腹筋の割れる身体にシェイプアップするTVCMが話題を呼び、健康飲料や低カロリーの食品がもてはやされ、体力勝負のTV番組が高視聴率。お笑い芸人も,お笑いの技術や質以上に,自分のマッチョなボディを自慢するようになった。
かつて紀元前後の古代ローマ帝国でも、同様の現象が起こった。古代ギリシアのオリンピアの祭典(古代オリンピック)が注目され、肉体美が讃えられ、格闘技など身体競技が大流行したのだ。
そのとき詩人のデキムス・ユニウス・ユウェナリスは、『風刺詩集』のなかに、「健全な肉体には健全な精神も宿るべきである」と書き、肉体美偏重の世の中を痛烈に批判した。
この言葉が日本では、「健全な精神は健全な肉体に宿る」と誤訳(!)され、戦前の軍国主義の世の中での体力作り(体育教練)に利用されたり、戦後の1964年東京五輪をきっかけとしたスポーツブームに火を点けたのだった。
このヒドイ誤訳では、何が健全な精神で、何が健全な肉体なのかもわからない。そして、無批判的にこのヒドイ誤訳を受け入れると、「国」の言うことを素直に聞く、従順で屈強な人間(兵士?)だけが「健全な精神と肉体の持ち主」となりかねない。しかも身障者差別につながる虞まである。
今の「スポーツ・ブーム」「マッチョ・ブーム」が、そんな方向に進んでいないことを心から願いたい。 |