《茶は地球上で最も多く消費されている飲み物であるばかりでなく、水を除いて人類が最も古くから知っていた飲み物の一つだ》
この一文で始まる「茶の世界史」は、古代中国の神話上の皇帝・神農に始まり、唐の茶聖・陸羽へと続き、日本に茶を伝えた栄西、さらに禅と結びつき侘茶の完成にいたる珠光、紹鴎、利休と秀吉へとつながる。
《利休が権威に挑戦して友愛や平安などという考え方を不穏な時代の封建制日本に持ち込むことができたのは、奇跡としか言いようがない》
そして利休に切腹を命じた《秀吉もまた(略)真の侘茶人と気まぐれな専制君主が一つの体に同居していた》と、まとめる。ここまでの第一部で全体(約三百頁)の六分の一。
ロサンジェルス在住の女性学者は、じつに鮮やかに東洋の前近代の茶の歴史を俯瞰してみせる。
第二部は《異国の悪魔》の到来。明朝の鄭和の大航海、《海軍強国としての中国》が消えたあと、ポルトガル、オランダ、イギリスの船が次々と茶を求めて押し寄せる。
《交易は急襲略奪の穏健な代替策》《戦争のない貿易は存在しないし、貿易のない戦争も存在しない》という考えの西洋列強は、互いに争いながら茶を持ち帰り、やがてその闘い勝利したイギリスでは、社会に小さからぬ「革命」が起こる。
コーヒーハウスに入り浸って女性を顧みなくなった男性に対して、女性たちが異を唱えた。が、お前たちの不満は《お前たち自身が夫をのべつ幕なしに疲労困憊させているせいであり、コーヒーを飲むせいではない》と反論され、いったん男性との争いに敗れる。
しかし茶の普及が状況を一変させる。ティー・ガーデンとも呼ばれる社交庭園(プレジャー・ガーデン)が《社会階級の点でも性(ジェンダー)の面でも混合した来客を迎える最初の公的空間》として発展。
《自分たちを排除するコーヒーハウスに不信任を突きつけ、家庭での茶会を完全に支配し(略)女性らしい才覚が茶の世界を広く普及させ》たのだ。
このあたりの指摘は、女性の著者ならではの視点で、過去に読むことのなかったヨーロッパ社会史として興味深い。が、当時の中国にとっては笑って済まされる問題ではなかった。
ヨーロッパでの茶の急速な普及と利益拡大を狙いながらアメリカの独立(これも茶への関税がきっかけとなった)などで苦境に立たされた大英帝国は、砲艦外交を展開。
正当な銀の支払いに変わって阿片を用いるようになり、戦争を経て、さらなる自前の茶を求めて、インド(アッサム地方)、セイロン(スリランカ)まで植民地支配の触手を伸ばす。
この時代に茶を巡ってインドや中国の奥地に入り込んだイギリス人の「活躍」は、まるで《インディ・ジョーンズ》のような痛快譚を伴うが、著者は冷静に植民地支配と奴隷労働の実態を指摘。その悲惨さを描く。
そして第三部で茶に関する雑学的知識が雑多に並べられ、古代中国で《不老不死の霊薬》と信じられた飲み物が、数千年後に《ぐるっと一回りして茶の起源に帰りつつある》ことが示される。
かつて二万二千とされた茶の薬効は、高濃度のフラボノイドとカテキンに起因し、酸化防止剤ポリフェノールの存在も解明された。
《数千年にわたって集積された東洋の経験的に統合された知と、自然の複雑さを理解するための西洋の体系的かつ分析的な研究方法という二つの力を》茶が結びつけたのだ。
そして最後の第四部で、発展途上国への《援助でなく貿易(トレード・ナット・エイド)》《公平な貿易(フェア・トレード)》としての茶のあり方、化学肥料を使わず《有機農業と持続性(サステナビリティ)》に基づく茶の生産の実状が、かつての植民地支配の後遺症ともいうべき民族対立などによる困難さとともに記される。
なるほど未来への希望に満ちた新しい試みを、読者の胸にはっきりと刻み込むため、茶を巡る過去の(とりわけ西洋の)愚行が書き連ねられたのだろう。面白くも納得のゆく見事な「茶の世界史」の一編といえる。
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