「思い出」と呼ぶにはあまりに幼い頃の出来事のためか、思い出すと懐かしさよりも恥ずかしさを伴い、思わず失笑してしまう。
授業中に無駄口を叩いて先生に叱られたこと、運動会でリレーの選手に選ばれながらバトンを落としてしまったこと、鉄棒の逆上がりができなくて恥ずかしかったこと……。なかには50メートル走のタイム測定で、狭い校庭でなく学校裏の宮川町の道路上を走り、二階の木窓の手摺に寄りかかった和服姿(長襦袢姿?)の女性から「ぼん、おきばりぃ」などと声をかけられたことも、夢のなかの出来事のように淡い記憶に残っている。
忘れられないのは六年生のときの東京オリンピックで、二週間にわたり連日視聴覚教室のテレビで、フェンシング、重量挙げ……など初めて目にするスポーツに興奮したことは、のちにスポーツライターとなった私にとって、まさに原点というべき出来事だった。
しかし、「新道小学校の思い出は?」と久々に訊かれてまず頭に浮かんだのは、その名称の「呼ばれ方」のことだった。
新道小学校と縁のない人たちは、必ず「シンドーショーガッコー」と呼んだ。たしかに「しんみち」というのは重箱読みで、音読みだけの「シンドー」が正しいのかも知れない。が、「しんみち」という響きに何処か新しい美しさを感じていた私は、「シンドー」と呼ばれるたびに、子供心に不快感を抱いたものだった。
これは最近気付いたことだが、朱雀、醍醐、嵯峨、桃山、花園、土御門……等々、京都の小学校は歴代天皇の諡(おくりな)と同じ名前のものが多い。それらは単に地域名として採用されたもので、六原(六波羅)、清水などと同類なのだろう。
が、京都の古い歴史を感じさせるそれらの名称とは異なり、「新道」という名前の小学校が、京都でも(日本でも)最も古く創立された小学校の一つだという事実は、改めて新鮮な驚きを与えてくれる。
その名前が消えるのは、やはりちょっと寂しい気がしてならない。 |