かつて人見絹江という天才アスリートがいた。
1928年アムステルダム五輪女子800メートル銀メダルのほか、100メートル、走り幅跳び、槍投げなど、あらゆる陸上競技で世界レベルの活躍を示した。そればかりか、文才にも恵まれ、新聞記者としても活躍。女子スポーツが珍しがられた時代に、海外遠征の費用を自ら工面して後進を指導するなど、日本陸上界に大きく貢献した。
が、肋膜炎を患い、24歳で早世。
虫明亜呂無は短編小説『紅茶とヒース』で、この天才ランナーをモデルに、「女になり切れなかった女」の深い寂寞感を描いた。
レースを競い合うなかで最も理解し合っていたはずのイギリス人女性アスリートの無自覚的な裏切り(彼女には親密な男性がいた)、同性愛(と思しき)日本人女性との別れと再会、その女性を挟んで存在する男性との仕事上だけの付き合い。
スポーツで偉業をはたしながら恋に恵まれなかった女性の短い人生ほど切ないものはない……。虫明は穏やかな筆致で、その悲しい物語を見事に淡々と描く。
あるいは巨人軍の悲運のエース沢村栄治を、妻の目から描いた短編『風よりつらき』は、よくもここまで女性の心理を細微に描いたと驚くほかない佳品である。
《男は何回、この世に甦ることだろう。/栄治は野球がさかんになれば、ますます、この世に復活し、やがては、永遠の生命をかちえるにちがいない。/でも、女は恋をしたときしか生きていない》
虫明も書評子も男性であり、この表現は、あるいは「男の勝手な思い込み」ではないかと、何人かの女性に確認したところ、ある女性はニコリと微笑み、また別の女性は深く溜息をつき、すべての女性が虫明の文章に我が意を得たりと肯いた。
さらにラグビーを通して男と女の心の交叉の機微を描いた『冬の闘魚』、スキーと女性との関わりを軸に、二人の男の人生を描き分けた『青い旗門』など、どの短編もスポーツが傍に存在している。そのため、心の動きが肉体的な実感として、よりリアルに伝わってくる。
なかでも徳島県立池田高校野球部を率いて全国制覇した蔦監督を実名で描いた短編『日本少年』は、地元の野球少年を率いて何度か甲子園に出場し、話題にはなるが優勝できず、悲運の名将と称された監督の初優勝の瞬間を、見事に描ききる。
それは全国から蝟集した優秀な球児たちの打棒爆発による優勝であり、虫明の描いた蔦文也は優勝目前の試合中、イニングごとに苛々と煙草を何本も吸い、ただ《試合が迅速に終了していくことを願》い、戸惑うのだ。
それは芥川龍之介が描いた『或日の大石内蔵助』と同様、俗界(マスコミ)の賛辞とは異なる真実を見通す作家の犀利な視線の賜というほかない。
ほかに女性の「性」と「肉体」を通して、女性の心理を真正面からエロチックに描いた表題作など全七編、三島由紀夫が「最後の浪漫派」と呼んだ作家の傑作短編の復刻は、痩せ衰えた現代日本小説に飽き足らない読者を満足させるに違いない。 |