もう20年以上も前のことになるが、歴史学者の岡田英弘氏が著した『世界史の誕生』(ちくま文庫)という本を読んで大興奮したことがあった。
それによると12世紀にチンギス・ハーンが現れ、モンゴル帝国が生まれたことで、初めて東洋と西洋が強く結ばれ、一体化し、「世界史」が誕生した、というのだ。
それ以前は、東洋は東洋、西洋は西洋と、二つに分かれた歴史しか存在しなかった。
しかも、この東西の世界を結んだモンゴル帝国の誕生は、太古の時代の歴史の「再現」でもある、という仮説も考えられるのだ。
世界最古と言われる四大文明は、東から黄河文明、インダス文明、メソポタミア文明、エジプト文明と、ユーラシア大陸の上に、三日月状に並ぶ。
ということは、その三日月の形の中心(すなわち、ユーラシア大陸の中心、のちのモンゴル帝国が発生したあたり)に、「高度な文明の中心」が存在し、そこから周縁部へと文明が伝わり、紀元前4千年紀前後に四大文明が生まれた可能性がある、というのだ。
ユーラシア大陸中心部の遊牧民たちは文字を残さなかった。そのため、「高度な文明」がどのようなものだったのか、詳細は不明だが、この仮設は、日本の大相撲のルーツを考えるうえで、きわめて興味深い。
日本の相撲の最も古い記述は日本書紀に書かれた垂仁(すいにん)天皇時代の野見宿禰(のみのすくね)と当麻蹴速(たいまのけはや)の「力(ちからくらべ)」で、宿禰が蹴速を蹴り倒し、肋骨と腰骨を踏み折って殺した、とされている(それはまた日本の柔術、柔道のルーツとも言われている)。
この「力(角力・かくりき)」は、相手を蹴ったり殴ったり頭突きを見舞わせたりする打撃系の格闘技で、相手と組み合う投げ技中心の「相撲(すもう)」とともに、紀元前後の漢の時代に、朝鮮半島を通って日本列島の国々(倭国や奴国など)に伝えられたという。
現在の日本の大相撲でも、力士が立ち合いで頭からぶつかったり、相撲界のことを「角界(かくかい)」と呼ぶのは、「角力(すもう)」の伝統の名残と言える。
そして朝鮮半島では「シルム」、中国(漢民族)では「角(シュアイジャオ)」と呼ばれる格闘技として残り、それらの元祖はすべて中央アジアの遊牧民の格闘技にあり、現在のモンゴルで「ブフ」と呼ばれている格闘技だとされている。
また中央アジアで生まれた格闘技は、西方アジア(メソポタミア、エジプト、トルコ、ギリシア)にも伝わり、ヤール・ギュレシ(トルコ語でオイル・レスリングのこと)となり、ペルシア(イラン)やアラブ諸国でもオイル・レスリングが発展した(身体に油を塗り、掴みにくくして闘った)。
つまり、極東の大相撲(や柔道)から中東のオイル・レスリング、グレコローマン(ギリシアとローマ)のレスリングまで、ユーラシア大陸の格闘技は、すべて中央アジア遊牧民の文明をルーツとする広大な地域を覆う兄弟文化と言えるのだ。
そんななかで、日本の大相撲にまた一人、照ノ富士というモンゴル出身の強い大関が誕生した。
白鵬、日馬富士、鶴竜の3横綱や照ノ富士、逸ノ城など、モンゴル出身の三役力士が多いのも、中央アジア遊牧民の長い歴史的伝統の力と言えるのかもしれない。
今年(2015年)五月場所(夏場所)の番付を見直すと、幕内力士42人のうち外国籍力士は17人(モンゴル10人、ジョージア(グルジア)2人、中国、エジプト、ロシア、ブルガリア、ブラジル=日系3世各1人)と、ユーラシア文化を背負った民族の出身力士が並ぶ。
日本人としては日本人横綱、日本人優勝力士の登場に期待したいところだが、この現状は、ユーラシア文化の大相撲としては当然と言えるのだろう。 |