今は空前の“猫ブーム”だという。
ペットフード協会の調査によれば、かつては飼い犬の数が飼い猫の数を200万匹以上も上回っていたのが、昨年約30万匹にまで縮まり、間もなくその数が逆転するという。
雰囲気の良い空間で何匹もの猫と触れ合いながら猫好き同士がお茶を楽しむ「猫カフェ」もあちこちに生まれ、猫用のフルコース料理を出す店や、猫のファッションを扱う店もあるらしく、猫の写真集が飛ぶように売れ、それらをまとめたネコノミクスと呼ばれる経済効果は2兆3千億円にも上るらしい……。
犬を飼うと毎日散歩に連れて行かねばならないが、猫はその手間が省け、放っておいても家に戻ってくるうえ、糞をする場所も一定。そんな手軽さも人気の一因のようだ。
1980年代には猫に暴走族の格好をさせた写真集がベストセラーとなり、「なめ猫」の“猫ブーム”が起きた。正式名称は「全日本暴猫連合なめんなよ」と言うそうだが、猫を無理矢理真っ直ぐ立たせた姿が動物虐待だという声も出たりして、ブームは間もなく消え去った。
もっとも、猫が「なめんなよ」と啖呵を切るのは、さもありそうな姿とも思え、だから一時期とはいえブームにもなったのだろうが、夏目漱石の『吾輩は猫である』に描かれて以来、猫は人格(猫格?)の持ち主として語られることが多い。
漱石が猫の小説を発表したあとには、パロディや亜流の作品が数多く生まれ、『吾輩は鼠である』『吾輩は蚤である』『吾輩は馬である』『吾輩は猿である』『私は豚である』『吾輩は犬である』……等々、様々な小説が生まれた。が、どれもこれも名作とは言いがたく、それは漱石との筆力の差に加えて、やはり人間の生活を上から目線で見下ろしてあれこれ語るのは、蚤や豚にはもちろん、猿や犬にも不可能で、猫だけができる(と思わせる)「猫格」を持っていると言えそうだ。
谷崎潤一郎も『猫と庄三と二人の女』という小説で、二人の女(前妻と正妻)が猫よりも自分は愛されていないと嫉妬したり、そんな女心に気づかず猫を可愛がる男(庄三)も、本当は猫に支配されてる……と思えるような物語を書いた。谷崎には、一言も言葉を発しない猫でも、黙って人間を支配できるほどの「猫格」があるように思えたのだろう。
同じペットでも、犬はここまでの独立した「人格(犬格?)」を示すことはなく、人間に忠節を尽くす。そんな従順な「犬格」が人間に喜ばれる。
いわゆる「愛犬物語」がその典型的なパターンで、ある日子供が子犬を拾ってくる。が、両親は飼うことを許さない。子供は犬を隠して飼うが、成長して両親に見つかり、捨てられる。子供は犬を探して行方不明になり、両親が必死に子供を探すと、寒い深夜、犬が子供を自分の身体で暖めていた。そこで両親は、子供の命を救った犬を飼うことを許す……。
この「愛犬物語」の犬を宇宙人に変えればスピルバーグの映画『E.T.』となる。人間の望む宇宙人は「猫型」でなく「犬型」のようだ。
未来から来たドラえもんは「猫型ロボット」と称しながら、のび太君への忠誠度は「犬型」にも見える。
ひょっとして現在の“猫ブーム”の猫も、漱石や谷崎の描いた強い「猫格」を持つ猫でなく、ドラえもん的な「犬的な猫」のようにも思えきたが……。 |