掲載日2003-10-20 |
京の昼寝 『室内・百家争鳴』 原稿(『室内』2002年8月号掲載) |
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昨年末に実父が亡くなり、八十を前にしたばあさんが京都の祇園町で一人暮らしとなったので、鎌倉の家を少しばかり改造し、呼び寄せることにした。
高齢になってから長年住みなれた土地を離れてしまうのも心細いだろうから、完全に引っ越してくれてもかまわない、好きなときに来て好きなときに帰ればいい、関西での仕事も少なくないから、二週間に一度くらいは京都の家にも立ち寄ることもできる、だから気楽に考えて・・・というと、笑顔で、「ほな、そうさせてもらうわ」といってくれた。
ところが、正月を遺骨と一緒に鎌倉で過ごしたあとは、なかなか足を運ぼうとしてくれない。四十九日が過ぎ、百か日も終わり、墓もでき、納骨が済んでも、「歳をとっても、いろいろやることがあるんやさかい・・・」といって、動こうとしない。
ばあさんの暮らしている京都の家からクルマで三十分くらいのところに住んでいる姉に、「なんで、なかなか来てくれへんのやろ?」と訊いたところが、ケタケタケタ・・・と甲高い声で笑われた。
「そら、田舎の学問より京の昼寝やで」
「なんやねん、それ」
「知らんのかいな。それで、よう、作家やってるな。田舎で一生懸命学問するよりも、都の真ん中に昼寝でもしてるほうが、いろんな情報が入ってきて勉強になる、いうことや」
なるほど・・・。わたしは納得した。
十年くらい前のことだが、女房が三人目の子供産むために入院し、ばあさんが京都から出てきて家事をしてくれたことがあった。
その初日に、ばあさんは、午後五時くらいになって、とつぜん買い物籠を持ち出し、「お肉は、どこで買うてるのん?」と、わたしに訊ねた。「バスに乗って大船駅まで行くとスーパーが・・・」と答えると、ばあさんは、「バス!」と叫んだあと絶句し、しばらくたってから、「なんとまあ、ここはクソ田舎やなあ。京都の家やったら、肉屋も酒屋も八百屋も、すぐ近所にあるのに・・・」と呆れ返った。
その後十日間ほど、ばあさんは昼間に病院での見舞いと買い物を済ませ、夜になって夕食の片付けも終わると、テレビの前にちょこんと正座し、お茶をすすった。そして口を開くと、「ここは、退屈なとこや」とくりかえした。「なんにも、することがない」さらに、「静かすぎて気持ちが悪い」ともいった。
六十年近く都会のど真ん中で暮らした身にとって、東京郊外の住宅地は、「妙に落ち着きが悪い」場所だったようである。
最近、京都の実家へ立ち寄ることがあったので、「やっぱり田舎よりも『京の昼寝』のほうがええか」と、話しかけてみた。すると、
「そら、ここにおると、門先での話し声を聞くだけでも、いろいろ事情がわかるよって」
という答えが返ってきた。ばあさんは、諺を知っていた。たしかに、耳を澄ますと、自動車やオートバイの通りすぎる音に混じって、「ちょっと南座へ行ってお芝居見てきましてん」「そうどすか、そら、よろしおしたな」とか、「今日は鬱陶しおすなぁ」「明日は、ええ天気らしおっせ」「お買い物どすか」「へえ。高島屋で安売りがあるいうので」といった話し声が聞こえてきた。その声を耳にしながら、わたしは、思わず吹き出した。声の主は老人ばかり。これが、都の情報か? こっちのほうが、よっぽど田舎やないか・・・。
「そら、まあ、若い人は、みな郊外に出てしもて、年寄りばっかりになってしもたけど、便利な都会のほうが暮らしやすいし・・・」年寄りには、いまは田舎と化した都が、ちょうどいい住み心地のように思えた。
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