ちかごろ「古典」が好きになって、困っている。
『好色一代男』『好色五人女』『武道伝来記』など、西鶴をいくつか読みなおしてみたところが、古典のリズムにとりつかれてしまった。『雨月物語』に興奮して背筋が冷たくなり、『癇癖談(くせものがたり)』を読んで今も昔も変わらない世情と上田秋成のジャーナリスト精神にほくそ笑み、『平家物語』を読み出したらあまりのおもしろさに止まらなくなって一気に読破してしまい、『古事記』に胸をわくわくさせ、つづけて『太平記』に手を出したのだが、こんなにおもしろい本ばかり読んでいては仕事にならないと思ったので、いったん脇へ置くことにした。
こんなふうにつぎつぎと古典に手を出したのは、昨年(1993年)5月に「Jリーグ」の開幕したことがきっかけだった。
最近はスポーツライターをいったん廃業し、作家活動に専念しようとしていた小生も、Jリーグの異常なまでの盛りあがりは看過することができず、この社会現象を分析して『Jリーグからの風』(集英社文庫)という本にまとめた。
そのなかで、明治の文明開化の時期に、ほぼ同時に欧米から輸入されたにもかかわらず、どうして野球ばかりが人気を得てサッカーが人気を集めなかったのか、という疑問に対するわたしなりの回答を導き出した。それは、この国では「市民戦争」(内戦)が西暦1600年の関ヶ原の戦いという早期にいったん終結してしまった結果、一般庶民が鉄砲を使った「団体戦」に不慣れだったため、というものだった(これ以上の詳しい説明を知りたい方は、どうか拙著『スポーツ解体新書』『スポーツとは何か』等をお読みください)。
さらに、日本人が、どうして「遊び」が下手になったのか、ということについても考察した。後白河法皇が編纂した『梁塵秘抄』におさめられている「遊びをせんとや生まれけむ・・・」という今様がうたわれて以来、日本人は、おそらく世界で最も早い時代に、貴族だけでなく一般庶民も「遊び」に目覚めた民族だった。その結果、能、狂言、茶の湯、生け花、歌舞伎、浮世絵、読み本、相撲、吉原、島原・・・といった素晴らしい「遊びの文化」を創りだした。
にもかかわらず、黒船の襲来に仰天し、明治になって西洋文明に追いつけ追い越せと必死になった日本人は、いつのまにか遊びの下手な民族になってしまい、欧米から輸入されたスポーツ(身体を用いた娯楽文化)までも「体育」という教育にしてしまった。さらに、人気の沸騰した野球を「武士道」と結びつけ、今日では経済優先社会のなかで、野球をはじめとするスポーツを「企業宣伝」に利用するようになった(この経緯についても、詳細は拙著をお読みください)。
そのような近代日本の「ボタンの掛け違え」を正そうとしているのがJリーグのムーヴメントであり、サッカー人気の高まりは、明治以来の日本人が忘れていた「遊びの文化」の復権につながる・・・というのが拙著の結論なのだが、考えてみれば、これは何もスポーツ界にかぎった現象ではなさそうである。
自民党単独長期政権の終焉と細川連立内閣の成立は、55年体制の崩壊という以上に、薩長藩閥以来の権力闘争をつづけてきた日本の政治構造そのものが金属疲労を起こした結果ともいえるだろうし、バブル経済の崩壊は明治の富国強兵政策以来の経済優先社会に見直しを迫るものともいえよう。音楽会のオペラ・ブームも、明治時代に邦楽を捨てて西洋音楽を取り入れて以来、120年を経た末に到達したゴールともいえ、再スタートを切る出発点であるともいえよう。そして、漱石ブームは、「明治の精神」(近代日本の精神)なるものが空疎なものであると最初に看破した人物に対する再評価ともいえるにちがいない・・・。
野球からサッカーへ、という流れもふくめて、あらゆるジャンルで「近代日本」のドラスチックな転換が求められているのだ。ならば、いまこそ「古典」を読むときではないか・・・。プレ・モダンの日本人の考えに接するべきではないか・・・。
そんな考えから、以前読んだことのあるものを再読してきっかけをつかみ、適当に読みやすいものから読破していこう、と「古典」に手を出したのだったが、いやはや、「古典」がこれほどおもしろいものとは、正直いって思いもよらなかった。
小生が不惑を超したせいかもしれない、とも思うが、「古文」を受験の厄介モノとしか教えてくれなかった教師を、あらためて恨みたくもなる。そういえば、そういう「古文教育」も、「近代日本のボタンの掛け違え」のひとつ、といえるにちがいない。 |