当事者や関係者が書いたドキュメンタリーというのは、自伝もふくめて意外とおもしろくないものが多い。それは、テーマの近くに位置しすぎたために、事実が書けなくなる、あるいは事実を曲げる、というケースが生じるからだろう。
ノンフィクション作家やジャーナリストが同様の陥穽(かんせい)におちいる場合も少なくない。取材対象に長年密着した結果、当事者や関係者の側に立つようになり、手にした情報量は膨大になっても、書けない、書かない、という事態にせまられることがある。それらのケースで最悪なのは、いうまでもなく誉め言葉のオンパレードである。むやみに舞台裏を暴露しただけのドキュメントというのも、読んで愉快な気持ちはしないものだが、読む者が気恥ずかしくなるほどの賛辞の羅列は、さらに不快な気持ちにさせられる。
本書は、吉本興業の会長として多くのひとびとに畏怖(いふ)された怪人物・林正之助を、吉本興業の社員が書いたものである。
はたして組織の一員という当事者に、どこまで、何を、書けるのか。あるいは吉本という巷間伝え聞く特異な組織ならば、破天荒な記述も可能かもしれない・・・という思いで読み出したのだが、読むうちに狐につままれたような気持ちになり、読み終わったあと思わず破顔一笑させられてしまった。
本書には、副題にあるような「正調よしもと林正之助伝」といえる記述がほとんど存在しない。いや、正之助が姉の吉本せいに請われて興行界に入る経緯や、戦前から戦中にかけての吉本の発展ぶり、さらに戦後、力道山のプロレス興行にかかわったことなど、折々の時代背景にたいする考察もふくめて、その生涯に触れたドキュメントふうの記述がないわけではない。
さらに芸人と接するときの厳しくも洒落っ気に満ちた正之助の態度や、酢の匂い(水虫のクスリの匂い)がただよう会長室で社員を怒鳴り飛ばす様子、それにたいして恐れおののく社員の様子など、当事者でなければ絶対に書けない記述もある。
が、それ以上のページを割いて書かれているのが、著者自身に関することなのである。
正之助のそうぎにともなうてんやわんやを吉本興業宣伝広報担当として体験したことが、まず冒頭に記されているのをはじめ、吉本NSC(ニュー・スター・クリエーション=吉本流タレント学校)の設立、心斎橋筋二丁目劇場の開場、吉本新喜劇の解散にまつわるキャンペーン、河内屋菊水丸と湾岸戦争直前のイラクへわたったことなど、とくに本書の後半部分は、著者が吉本の社員として経験した仕事に関する記述で埋め尽くされている。
いや、それどころか、大阪人として吉本の笑いと接した少年期の体験、同志社大学卒業時の吉本入社の経緯など、一見<正之助伝>とは無縁、はっきりいって三十三歳のサラリーマンの半生記などべつに読みたくもない、と思えるような記述がつづく。
ところが、吉本には裏方まで目立ちたがりのイチビリが多いなあ・・・と思いながらも、その記述がおもしろくて読みすすんでしまう。というのは、その個人的体験に、<林正之助の姿>が投影されているからである。
折にふれて会長があらわれ、仕事でてんてこ舞いしている社員に檄を飛ばしたり洒落をいうシーンが挿入されているから、というだけではない。子供のときに吉本の笑いの洗礼をうけ、のちにその一員にくわわり、「社員はメシも食えば文句もいう。仕事もさぼるし、会社も休む。ところが土地や建物は二十四時間休まずに働いてくれる」と嫌みをいう会長にたいして、「くらべられて勝てる相手やないで」とうそぶき、「大衆と共に生き、大衆に奉仕し・・・」という高邁な理想を掲げた社是・社訓を、「早い話が金儲け」と解し、「芸人のあつかいの荒さ、シブチンぶりは今も(昔も)変わらない」と自嘲し、「この会社でどれだけ遊べるか」と考えている著者(および他の社員)の姿そのものが、いつの間にか<現代版・林正之助像>ともいうべき姿に見えてくるのだ。
これは“吉本イズムの浸透”とか“柔構造の組織論”といった言葉でかたづけられるものではあるまい。
関東の笑いと関西の笑いに関する鋭い比較分析や、湾岸戦争直前にイラクのロック・シンガーがボブ・ディランの『風に吹かれて』を歌っていたことを書き記す観察眼など、きわめて犀利(さいり)な記述に富みながら、それでいてタレント本的な軽いノリで書かれた本書を読みながら、評者は、開高健の小説『流亡記』の世界を思いだした。始皇帝の長城建設に駆りだされた男は、苛烈な労働にあえぐなかで、自由に疾駆する匈奴の姿を見、自分も「砂漠へ行こう」と決意する。
林正之助以下吉本の連中は、どうも匈奴のような存在であるらしい・・・というと、「なにをたいそうなこといわはりまんねん」とまぜかえされそうだが、<正調>と書かれた副題のうえに小さく<竹中版>と記されていることもふくめて、あらゆる行間に“吉本的したたかさ”の横溢する本書は、すべての事象が硬直気味の現代ニッポンにあって、なかなかに多くの示唆に富む一冊といえそうである。 |