コラム「音楽編」
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掲載日2006-09-18

この原稿は、バリトン歌手・福島明也さんのCDアルバム『歌は美しかった〜ラジオの時代』の解説に書いたものです。いつの間にか本欄がライナーノート・シリーズになったようで、第3弾として“蔵出し”します。

我が「師匠」福島明也の魅力

CD
福島明也『ラジオの時代』
福島明也『ラジオの時代』

 福島明也さんを「師匠」と呼ばせていただいているのは、いつかはヴェルディ作曲『椿姫』のジェルモンのアリア『プロヴァンスの陸と海』や、同じくヴェルディのオペラ『オテッロ』の『イヤーゴの信条』を朗々と歌いあげたいと思っている小生が、ただ勝手に呼ばせていただいていることで、酒が入ると、「師匠、一曲、歌ってよ」といいだすような「弟子」である。最悪の「弟子」であることは自覚している。

 あれは藤沢市民オペラでの『リエンチ』の公演が幕を閉じたあとのことだったか、わたしの行きつけの大船の寿司屋に連れ込んだとき、「師匠、一曲、やってよ。ほかに客もいないことだから」と調子に乗っていったものだから、カウンターのなかで寿司を握っていた主人のほうが目を丸くした。ところが、わたしのほうが、もっと驚いた。「それじゃあ、まあ」といって、福島さんが歌い出したのだ。
 ♪春、高楼の花の宴〜・・・めぐる盃、影さして〜・・・

 「歌詠みは下手こそよけれ天地(あめつち)の動き出してはたまるものかは」というのは、古今集序文の「歌は天地をも動かす」という一文をもじった江戸川柳だが、それは和歌だけの話ではないことを、寿司屋で福島さんが証明してくれた。

 なにしろ、10人と少しで満員になる寿司屋に福島さんの太く見事な美声が響くと、棚からすべての食器が飛び出し、ネタを収めたケースのガラスは破壊され、紅殻格子の木戸も吹っ飛ぶかと思えたほどで、その小さな空間のすべての空気がうねるようにふるえ、小生と寿司屋の主人と主人の奥さんは、福島さんの「歌の力」に包み込まれたのだった。

 ♪千代の松ヶ枝、分け出でし〜・・・昔の光、いまいずこ〜・・・
 「ま、こんなところで」と、福島さんは、歌を終えたあと、ちょっと照れたように軽く頭を下げ、ビールのコップを口に運んだ。
 ブラヴォ〜! というほかなかった。思えば、ずいぶん無礼な弟子である。ずいぶん鷹揚な師匠である。

 とはいえ、己の無礼さはさておき、こういうものかな、と思わないでもなかった。一流のミュージシャンとは、こういうものに違いない。
 そういえば、この寿司屋では、パリから来たフルーティスト(ランパルの弟子)が、味の美味さに感激して楽器をとりだし、フォーレを演奏したことがあった。ヨーロッパで大活躍している日本人指揮者がベートーヴェンの序曲を口ずさみながら、手振り身振りで指揮を始めたこともある。

 そういえば、ウィーン・フィルのメンバーが、札幌の公園の芝生のうえで、散歩する人々に音楽を聴かせている光景を見たこともある。ドイツで活躍している日本人のバス歌手が、すすきののバーでマイク片手に『マイウェイ』を歌うのを聴いたこともある。
 クラシックの音楽家は、どうも近寄りがたい雰囲気を放っている人物が少なくない。いかにもエラソウな顔つきで、難しそうなテツガク的音楽をやっているように見える人もいる。

 が、そういう人物は二流である(と、わたしは、確信している。従って、H・V・Kはあきらかに二流である)。一流のミュージシャンは優しくなければならない。音楽とは基本的に人の心を和ませるものだから、それは当然のことである。「北風」のような音楽を演奏することはあっても、心までが「北風」ではどうしようもない。心の底には「太陽」がなければ。

 寿司屋で、「ブラヴォー!」と叫びながら思い切り拍手をすると、口に付けていたビールのコップをカウンターに戻した福島さんは、「では、もう一曲」と微笑みながらいった。
 ♪Che bella cosa 'na irurnata 'e sole ・・・'O sole 'o sole mio ・・・

 夜も更けた寿司屋のカウンターに座り、南イタリアの太陽の光を浴び、地中海の青い海を目の当たりにするなどという贅沢は、二度と味わえるものではあるまい。
 師匠、機会があれば、もう一度。Bravo! Bis!いや、このCDを聴いて、次は『椰子の実』か『あざみの歌』を所望したくなってしまった・・・。調子に乗りすぎでしょうか? いいでしょうか? お願いしますよ、師匠!

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