私が佐渡裕さんと初めて出逢ったのは、から20数年前、札幌でレナード・バーンスタインが創設した教育音楽祭PMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル)でのことだった。
そのとき私は、思わず、「うわっ。でかっ!」と言ってしまった。すると彼は、人なつっこい笑顔を浮かべながら、私と同じ京都弁丸出しの口調で、「一緒やん。お互い、そないに変わらへんやん」と答えた。
佐渡サンは身長187センチ。私は180センチ。「変わらへん」どころが、かなりの差である。が、私もさほど小さくない人間として、子供の頃から身体の大きかった人間の悩みはワカル。
小学生の頃、低い鉄棒での逆上がりが苦手だった……とか、運動会での競走で背の低い子供に負けて恥ずかしかった……とか、子供同士の喧嘩で予想以上に怖がられ、こっちのほうが驚いた……とか。そうして常に背中を少し丸める姿勢が癖になってしまった子供が、大人になっても、どこか遠慮気味の態度を見せてしまう……とか……。
最近、佐渡さんと話していて思わず吹き出したことがあった。それは、彼が芸術監督を務める兵庫県立芸術文化センターで、毎年夏の恒例のオペラ公演にブリテンの『夏の夜の夢』の上演が決まったときのことだった。
「僕はブリテンなら『ピーター・グライムズ』をやりたかった」と、彼は言った。「そやけど会員のおばちゃんたちと話したときに、みんなが声を揃えて、『人が死ぬオペラは可哀想で、いやや』って言わはってん。それで人の死なへんオペラを選んだんやねん……」。
私は吹き出しながらも、心の底で「ブラーヴォ!」と叫んでいた。これこそ大男の優しさなのだ。
ウィーンのトーンキュンストラー管弦楽団の音楽監督に就任し、初のCD(R・シュトラウス『英雄の生涯』『ばらの騎士組曲』)の素晴らしい演奏に感激してサインを求めたときも、サインペンを動かしながら、彼は笑顔でこんな言葉を口にした。
「日本人の僕がウィーンのオケ相手にウィンナワルツを指揮するなんて、ほんまに笑うやろ。オカシイやろ。けど面白かったし、楽しかった。ほんまに素晴らしい経験やったわ」。
そういえば10年ほど前に、彼が突然「武満サンの音楽って聴く?」と切り出したこともあった。私が「あんまり聴かんなぁ。弦楽のためのレクイエムと、ノヴェンバー・ステップくらいかなあ……」と答えると、「そうやろ。僕もそうやった。けど最近急に、武満さんのあらゆる音楽が、スゴイ! と思えるようになって、楽譜見て聴き直すと素晴らしい曲ばっかりやねん。ほんまに美しい綺麗な曲だらけ……」。
私は、あんたはプロの指揮者なんやから、そこまで正直に言わんでも……と心の底で苦笑いしながらも、この大男の音楽に対する純粋な気持ちに感激していた。
そんな佐渡裕さんが東京フィルの指揮台に立ち、武満徹の音楽やブルックナーの交響曲を指揮する。彼の師匠のバーンスタインはマーラーのエキスパートとして有名で、数少ないブルックナーの録音では、まるでマーラーのような粘り気のあるサウンドを響かせている。はたして弟子の佐渡さんは、どんなブルックナーを聴かせてくれるのか? そしてトーンキュンストラー管弦楽団との活動を2022年まで延長することになった彼が、どんな「本場」のブラームスを聴かせてくれるのか?
ワクワクするほど楽しみなコンサートだが、彼の奏でる音楽の底には、常に優しさがあふれているにちがいない。 |