音楽の父はバッハ、音楽の母はハイドン、そしてクラシック音楽の歴史はモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ブラームス……と続く、と私たち日本人は、小中高校の音楽の授業で学ぶ。それがオーソドックスな音楽教育となっている。
ところが、アレグロ、アンダンテ、ダカーポ、フェルマータ、ピアノ、フォルテ……などなど音楽用語は、ほとんどがイタリア語なのだ。その「不思議さ」については、学校教育を離れ、クラシック音楽の一ファンとして音楽を楽しむうちに、新たな事実に気づいた。
じつはグレゴリオ聖歌以来、ルネサンス・バロック音楽を経て、ヨーロッパ近代音楽のトップランナーを走ってきたのは、イタリア人の作曲家たちだったのだ。
モンテヴェルディ、スカルラッティ、ペルゴレージ、ヴィヴァルディ……などなど。彼らが西洋音楽を切り拓き、発展させてきた。西洋音楽のルーツはイタリアであり、だから音楽用語の多くはイタリア語なのだ。
なのに、どうしてイタリア人作曲家の音楽は、学校であまり教えられない(聴かされない)のか。ベートーヴェンやブラームス、ワーグナーやブルックナーが活躍した時代にも、イタリアでは、ロッシーニ、ドニゼッティ、ベッリーニ、そしてヴェルディ、プッチーニ、マスカーニ、レオンカヴァッロ、レスピーギ……と、才能溢れる作曲家たちが素晴らしい作品を数多く残した。
にもかかわらず、学校で教わる音楽は、ほとんどがドイツ音楽なのだ。
いったい、何故?
この疑問に対する回答は簡単だ。イタリアの作曲家たちは、主にオペラを作り続けたから、である。
オペラのテーマは、9割近くが恋愛劇。男と女の愛憎劇。そこには純愛もあるが、多くは熱愛、盲愛、悲恋、邪恋。さらに三角関係、岡惚れ、よろめき、嫉妬、憎悪、略奪愛、加虐愛(サディズム)、被虐愛(マゾヒズム)……等々、時には……と言う以上に、その多くが殺人事件にもつながる。
それほど強烈な、ありとあらゆる「愛のカタチ」が、素晴らしい音楽のなかに描かれている。それが、オペラだ。
そんな物語の音楽を、まだ恋も知らず、愛にも未熟な十代の若者たちに教えるのは不適切……かどうかはともかく、理解するのがムズカシイのは事実だろう。男女の愛の音楽よりも、ダダダダーン……と運命が鳴り響くほうが、よほどカンタンに子供心にも響くに違いない。
早い話がイタリア・オペラの音楽とは大人の音楽にほかならない。大人の男女の愛憎劇だから、音楽は、シットリ、ネットリ、タップリ、コッテリ、マッタリ……と響く。特にイタリア人が演奏すると、まるで日本人が演歌を唸るように、アモーレにコブシを効かせて「泣き」が入る。
いやあ、「大人の音楽」は、実にイイモノですナァ……。
今年、初めてバッティストーニさんのイタリア音楽(ニーノ・ロータの『道』やマスカーニの『カヴァレリア・ルスティカーナ間奏曲』)を聴いたが、オリオ(大蒜)を十分に効かせた極上のイタリア料理のように、コッテリ、マッタリと味わい深く舌に……いや耳に絡みつく素晴らしい演奏だった。
そんな根っからのイタリア人のバッティストーニさんが、はたしてどんなベートーヴェンを聴かせてくれるのか?
きっと、トスカニーニ、アバド、シャイー……に続く、新たなイタリア人世界的オールラウンド指揮者が誕生する瞬間に立ち合えるに違いない。 |