コラム「音楽編」
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掲載日2011-12-28
この原稿は、2011年6月に来日したマーラー・チェンバー・オーケストラ(マーラー室内管弦楽団)の公演パンフレットに寄稿したものです。そのコンサートに足を運び、このーケストラの並々ならぬ実力を見せつけられ……いや、聴かせつけられましたが、その見事なアンサンブルを思い出しつつ“蔵出し”します。

胸のわくわくするコンサート――西の端(ハーディング)と東の端(佐渡裕)の邂逅

 ダニエル・ハーディングという指揮者の名前が、私の心にしっかりと刻み込まれたのは、いまから13年前の1999年、彼が南フランスのエクサンプロヴァンス音楽祭に登場し、モーツァルトのオペラ『ドン・ジョヴァンニ』を指揮した、というニュースが舞い込んだときのことだった。

 前年はベルリン・フィルの芸術監督だった65歳のクラウディオ・アッバードと交代で指揮した楽曲を、その年は若干24歳のハーディングが一人で4公演担当する……というニュースだったと記憶しているが、その若さに対する驚き以上に、その舞台の演出がピーター・ブルックで、彼がその若き指揮者の演奏を2年連続して採用した、ということのほうが衝撃だった。

 音楽ファンの間ではブルックはそれほどポピュラーではないかもしれないが、演劇の世界でブルックといえば、もう神様のような存在で、1925年生まれの彼が1972年にロイヤル・シェイクスピア・カンパニーを率いて来日し、日生劇場で上演した『夏の夜の夢』の衝撃は、私の瞼にいまなお焼き付いているくらいだ(彼の著作の題名でもある真っ白な『何もない空間』で、空中ブランコ、皿回し、宙返り……といったサーカス的愉しさにも満ちたその舞台は、愉快な猥雑さにもあふれ、テレビ放送したNHKは部分的に役者の顔を超アップでとらえ、テレビで映し出すには憚られる肉体の動きをわからないようにしたくらいだった)。

 その後も斬新で実験的で、それでいて愉しく面白い舞台を作り続けた大天才演出家が、晩年になってオペラの演出に挑戦したという、それだけでもビッグ・ニュースなのに、そこに選ばれた指揮者がまだ20歳代で、しかもその新鋭が2年続けて……というのは驚くべき事件以外の何物でもなかった。

 そのときの『ドン・ジョヴァンニ』の舞台映像や演奏は、現在DVDやCDで見聴きできるが、どちらもじつに素晴らしいもので、やはり『何もない空間』が、真っ赤や真っ青に塗られたシンプルな木製の椅子や机、額縁のような木枠や長い棒(柱)の移動だけで自在に変化し、その空間のなかを若い歌手たちが黒を基調としたTシャツやブレザーや薄いドレス姿で動きまわる。するとそれだけで、モーツァルトの作曲した音楽が新たな生命を得て、鮮やかに躍動するのだった。

 いや、ブルックの創り出した『何もない空間』を、躍動感に満ちた新たな生命に溢れた音楽で満たした指揮者こそ、24歳の若きハーディングだったのだ。そして、その非凡な指揮者の指示に見事に応えたオーケストラが、マーラー・チェンバー・オーケストラ(MCO)だった。

 その後のハーディングのスウェーデンやロンドンのみならず、ベルリン、ウィーン、ザルツブルク……等での大活躍は、クラシック音楽ファンなら、誰もが御存知の通りである。彼のタクトから紡ぎ出される弦楽器のノンヴィブラート奏法を駆使した即物的ともいえるサウンドと、切れ味鋭いテンポは、モーツァルトもベートーヴェンも、そしてチャイコフスキーやマーラーも、まさに「新しい時代の音楽」と呼ぶにふさわしい輝きに溢れている。

 その思いを強くしたのは彼が来日したときに、彼の友人でもある金聖響さんと一緒に話をする機会を得たときだった。 「たとえばチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲という作品を、ソロ・ヴァイオリニストが主役で、オーケストラを脇役などと考えると、つまらない作品にしかなりません。それは、一緒に音楽を創りあげるせっかくの機会を、失うことですからね」

 また、スウェーデン放送響を率いて横須賀公演を行ったあとには、東京へ帰るついでにわざわざ我が家に寄って、マーラーについて面白い話を語ってくれもした。 「マーラーの音楽は私も大好きです。素晴らしい音楽です。楽譜に書かれた一つ一つの音が新鮮で力を持っています。でも、マーラーの音楽をあまりにも特別視するのは好きじゃない。マーラーもバッハやモーツァルト、ベートーヴェンやブラームスと並ぶ一人のユニークで偉大な作曲家です。最近はマーラーがブームですが、他の作曲家から特別に抜きんでているわけじゃない、と考えるほうが自然でしょう」

 幼くも見える童顔に笑顔を浮かべながら、肩に力の入らない言葉をさらりと語ってみせる彼の顔を見ながら、私は少々クダラナイ考えを頭に思い巡らせた。それは、ダニエル・ハーディングという名前について、である。

 欧米人の名前の来歴や意味については、あまりよく知らないが、彼の名前は、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーとかハンス・クナッパーツブッシュなどという往年の大指揮者の名前に較べて、明らかに重くない。断じて、軽い。

 ヘルベルト・フォン・カラヤンという威厳と権威を有する名前からも遠く、レナード・バーンスタインというオリジナリティを感じさせる名前でもない。それに、クラウディオ・アッバードとかリッカルド・ムーティといった具合に、西洋音楽を他に先んじて生み出した国の誇りと伝統を感じさせる名前でもない。

 その「ダニエル・ハーディング」という名前にこそ、彼の指揮者・音楽家としての素晴らしさ、おもしろさ、新しさが象徴されているようにも思えたのだ。つまり過去の音楽の世界の権威とか伝統、慣習とか因襲といったものと、いっさい関係のないところから創りあげられる音楽こそ、ダニエル・ハーディングの音楽だと……。

 おそらく、そのような歴史の完全な断絶のなかからは新しいものなど何も生み出されないだろう。が、そう思わせるほどの新鮮さ、斬新さが、ハーディングの指揮する音楽のなかには感じられるのだ。

 さて今回の来日では、手兵のMCOを率いて、どんなマーラーを聴かせてくれるのか? おまけに今回のツアーでは、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の定期コンサートを指揮したばかりの佐渡裕も、手兵のPACオーケストラ(兵庫県立芸術文化センター管弦楽団)とMCOによる合同オケの指揮台に立ち、マーラーの壮大な作品『交響曲第三番』を指揮するという。

 ヨーロッパの伝統から最も遠い極東の島国に生まれ育った佐渡裕と、西欧の西の端の島国に生まれ育ったダニエル・ハーディング。そしていまや、ヨーロッパの伝統の中央で活躍する二人。そんな二人が、それぞれに、どんなマーラーの世界を響かせてくれるのか……。

 近来最高に期待感の高まる、胸のわくわくするコンサートは、もうすぐ開演のベルが鳴ろうとしている。さぁ、深呼吸して、指揮者の登場を待ちましょう……。


第16回 (最終回)ヴェルディのブンチャカチャッチャにハマル

 世の中には《ハマリやすいもの》がある。
 酒、タバコ、コーヒー、紅茶、麻薬、ギャンブル……などが代表的だが、心理学者によると、ほかにも、激辛(激甘)食品、高脂肪食品、性行為、ポルノ商品の購入使用、無目的なテレビの視聴、クルマのスピードの出しすぎ、お金を使うことを目的とする買い物、多忙であることを目的とする仕事、口論、議論、暴力、他人の支配……等々も《ハマリやすいもの》だという。

 が、そのなかに、なぜか「音楽」が含まれていない。ハマッても害がないからとりあげられないのか……理由はわからない。が、モダン・ジャズにハマッた奴の理屈っぽさは、酒乱よりもタチが悪いようにも思う。

 それに、オペラにハマルと、もう、タイヘンだ。家計を省みず次からつぎへと高額のチケットやCDやDVDを買い、海外の歌劇場まで足を伸ばすようにもなる。

 なかでも、ワーグナーとヴェルディのオペラは、ハマルと中毒症状が現れ、ワーグナーの場合は陶酔感とともに酩酊状態に陥り、ヴェルディの場合はブンチャカチャッチャというリズムが頭に鳴り響き、躁状態に陥る(ロッシーニ・クレッシェンドにハマッたオペラ・フリークもいるようですが……)。

 正直いって、小生は、いま「ヴェルディ病」に取り憑かれている。それは、メトロポリタン・オペラの来日公演『リゴレット』の素晴らしい舞台を見たせいでもあるのだが、毎日一度は、ヴェルディのブンチャカチャッチャを耳にしないと落ち着かない。

 しかも『アイーダ』『オテロ』『ファルスタッフ』といった晩年の傑作ではなく、『ナブッコ』『群盗』『アティラ』『エルナーニ』『二人のフォスカリ』といった初期の佳作にハマッている。それらのほうが、ブンチャカチャッチャの単純なリズムが頻繁に現れるのだ。

 それら初期の作品は録音も少なく、CDは手に入り難かったのだが、最近ワーナーレコードから『ヴェルディ選集』として、往年の名演奏のCDが一気に発売された。

 おかげで、小生の頭のなかはブンチャカチャッチャが鳴り響きっぱなしである。でも、まあ、ワーグナーに酔って哲学ブルよりはマシだろう……とひとり、言い訳をしているのだが……。

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