これまでに出逢った何人かの音楽好きのドイツ人のすべてが、まったく同じ言葉を口にしたことがある。それは――
「ブラームスの音楽は、ドイツ人でなければ理解できない」
というものである。
何人かの音楽家の友人に訊いたところが、彼らも、「ドイツ人は誰もがそう言うんだよね」と、同意してくれた。
我々ドイツ以外の国に生まれ育った人間は、この言葉に対してちょいと反発もしたくなり、いくつかの疑問も湧いてくる。
日本の演歌ですら、ジェロというアフリカ系アメリカ人が見事に歌いこなす時代である。ましてや万国共通の五線紙に書き残された楽譜で、「ドイツ人にしか理解できない」などということがあるのだろうか? いや、そんな遠回しな表現をするまでもない。ブラームスの交響曲や室内楽に耳を傾け、「いいなあ」と思っている日本人(を初めとするドイツ人以外の人々)が数多く存在している事実を、ドイツ人はどう思うのだろう?
それでも「ドイツ人以外は理解できていない」というならば(実際、彼らはそう言うのだが)、音楽とは「(深く)理解」しなければならないものなのか? 「楽しむ(心に感じる)」だけではいけないのか? と反論したくもなる。
この反論に対して、「どうぞ御勝手に」と言われればそれまでなのだが、ドイツ人の方々は、ブラームスの音楽というものに、どうやら強いコダワリをお持ちのようだ。
いったい何故? どうしてベートーヴェンではなく、ブラームスなのか? 同じドイツの大作曲家なのに、「ベートーヴェンの音楽はドイツ人でなければ…」という言葉をドイツ人の口から聞いたことはない。
ドイツのボンに生まれ、ウィーンで活躍し、イタリアへもフランスへも一度も足を運ばなかったベートーヴェンの音楽も、十分に「ドイツ的」ではないか?
「重厚」で「規律的」で「構造的」で「質実剛健」で「深遠」で「思索的」で「滋味」にもあふれ…まさに「ドイツ的」とも思えるのだが……。
ベートーヴェンの音楽は、いまや極東の島国でも毎年末の恒例行事として演奏されるほどインターナショナルになってしまったので、いまさらドイツ人が「俺たちにしか…」とは言いづらくなったのか…とも思うが、どうやらそうでもなさそうだ。
どうも、ベートーヴェンという人物は、純粋なドイツ人とは言えないらしい。
ベートーヴェンの祖父はフランドル地方のアントワープ(現ベルギー)の生まれで、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの「ヴァン」という名前からも、フランドル(オランダ・ベルギー)系の血筋であることが証明されるという。
しかも当時のその地方は、黒人奴隷貿易が盛んで、だからベートーヴェンには黒人の血が混ざっている、などという(驚愕すべくも面白い)眉唾物の「ベートーヴェン黒人説」までが、主にジャズメンたちのあいだでは囁かれることもあるらしい。
たしかに色黒の顔つきと、あの縮れ毛は…ということはさておき、ベートーヴェンの音楽に改めて素直に耳を傾けてみると、それが「ドイツ的」だけでは収まりきらない部分の多々あることに気づく。
交響曲2番、4番、7番、8番などでのシンコペーションを多用したスピード感あふれる楽章や、ピアノ協奏曲第1番第3楽章のまるでジャズやロックどころかラテン音楽までも先取りしたようなリズミカルな音楽を聴けば、「じつはアフリカン・ビートの血が流れているから」と、ジャズメンたちが我田に水を引きたがる気持ちもわからないでもない。
今宵の演目である第九の第2楽章なども、アフタービートで指を鳴らしたり身体を揺らせてみれば、まるでロックンロールであるとまでは言えないまでも、相当にグルーヴィでジャジーな感覚のクールなノリノリになれることは確かである(もちろん演奏の仕方にもよりますが)。
つまり、多くのドイツ人が言うように、ブラームスの音楽を「ドイツ人にしか理解できないドイツ的」なものであるとするならば、ベートーヴェンの音楽には、「ドイツ的ではない部分」があまりにも多く含まれている、と言えそうである。
だからおそらく、ドイツ人の方々も、「ベートーヴェンはドイツ人にしか理解できない」とは口にしないのだろうし、ベートーヴェンの音楽には、生まれながらにインターナショナルな要素が多く含まれていた、と言えるに違いない。
ベートーヴェンが(ブラームスも!)活動の拠点としたウィーンは、オーストリア(エステルライヒ)というその名のとおり、ヨーロッパのなかでも最も「東の国」であり、ハンガリーのマジャール文化やロシアのスラブ文化やオスマン帝国のトルコ・イスラム文化と国境を接していた。
「ドイツ的」とドイツ人が自認するブラームスですら「ハンガリアン舞曲集」を作曲したくらいで、トルコ風やスラブ風、アラブ風やペルシア風の行進曲なども、モーツァルト、ベートーヴェンの時代からウィーンの音楽界に色濃く混ざり込んでいた。
人種や文化が混淆するなかで、言葉によるコミュニケーションが取りにくかったから、必然的にウィーンは「音楽の都」と呼ばれるほどに音楽(によるコミュニケーション)が発達した、というのは小生の(少々根拠の薄い)自説だが、パリならばシャンソン、ローマならばカンツォーネと主流となる音楽が厳然と存在するのに、ウィーンは、ウィンナ・ワルツでさえ濃厚にハンガリアンやロマ(ジプシー)の風味が漂い、ロシアンやペルシャンとも容易に融合する環境にあったのだ。
文字や言葉よりもはるかに心と心の交流が可能なメディアである音楽が、異人種や異文化の坩堝といえる環境のなかでこそ発展したというのは、そう的外れな意見でもないだろう。
そんななかで、ハイドン、モーツァルトが古典的音楽形式を確立させた後に登場したベートーヴェンは、音楽の可能性を存分に拡張した。つまり、音楽というメディアが必然的に兼ね備えている「国際性」というものを、自然に思い切りはばたかせたのだ。
そうして交響曲というジャンルで、古典的形式を完全に踏まえて一音たりとも無駄のない完璧な楽曲(第5番)を創り、未来の音楽のカタチを切り開く新しい標題音楽(第6番『田園』)も創り、究極の舞踏音楽(第7番)や究極の室内音楽(第8番)までも世に送り出し、さらに宇宙と一体化するまでの音楽(第9番)まで創り出した。
文字通り宇宙にまで広がる、真のボーダーレスとも言うべき天才の技の後に登場したブラームスやワーグナーが、足下にあるドイツという自分自身の世界を見直したり、楽劇という物語の別の世界に逃れるほかなかったのは、あまりにも当然のことと言えそうだ。
その結果、ドイツ人(の多く)が、「ベートーヴェンはドイツ人にしか…」と言うのではなく、「ブラームスは…」と言うのも理解できるような気もする。
音楽の国際性に加えて、フランス革命前後というインターナショナルな空気に充ちた時代背景も影響しただろう(ブラームスの時代はヨーロッパにナショナリズムが台頭してきましたからね)。そんな時代のヨーロッパに、ピタリと音楽の大天才が出現してくれたことは、世界中の音楽ファンが感謝すべき出来事と言うほかない。
そのインターナショナルな音楽は、21世紀の今日、さらに多種多様なスタイルで演奏されるようになった。古楽器を用いたり、ピリオド奏法と呼ばれる古い演奏法に立ち返り、ベートーヴェンの時代に鳴り響いたサウンドをよみがえらせようとする試みもあれば、オーケストラの規模が大きくなった19世紀末から20世紀のやり方で迫力ある音響を響かせる演奏もある。また、重厚で思索的な、いかにもドイツ的な音を響かせる指揮者もいれば、軽やかに明るいベートーヴェンを聴かせる指揮者もいる。
そのどれもが紛れもないベートーヴェンの音楽であることには、音楽ファンとして、驚きと喜びを感じないわけにはいかない。そもそもインターナショナルな音楽なのだから、その多様性こそベートーヴェンの音楽そのものだという言い方もできよう。
はたして今宵のベートーヴェンの『第九』は、は、どんなベートーヴェンであることか?
指揮者のレナード・スラットキンは、1944年生まれのユダヤ系アメリカ人で、20世紀アメリカ音楽を数多く指揮し、とりわけレナード・バーンスタインの音楽をこよなく愛し、ラフマニノフなど近代ロシア音楽の演奏も得意とし、セントルイス交響楽団を指揮したときには、ちょうどワールドシリーズに進出したセントルイス・カージナルスの試合の途中経過を逐次指揮台から実況中継したというほどのベースボール・ファンだという。
そんな彼が、日本の最高級のオーケストラを前にして、2008年の年末の仕事納めに…などということは、まったく関係のないことかもしれないが、はたしてどんなベートーヴェンを鳴り響かせてくれるのか?
今年の年末もまた、日本の全国各地で、じつに様々なベートーヴェン、いろいろな『第九』が、鳴り響く。その多様性こそ、21世紀の日本という国に生きている音楽ファンの最も喜ぶべきことであり、ひょっとして天国にいるベートーヴェンさんも、雲のソファに座っていろんな音に耳を澄ましながら、「いろいろあって、なかなかおもしろいじゃないか」と喜んでいるのでは…? などと思うのは、勝手な想像でしょうか?
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