ドレミファソラシドを発見し発展させたのはピタゴラスなのかバッハなのか、詳しいことは知らないが、西洋音楽はその合理性ゆえか、いまや「世界の音楽」として地球上の隅々で演奏され、愛されるようになった。そしてイタリアは音楽用語のほとんどがイタリア語であることからもわかるように「世界の音楽」の中心といえる位置にある。しかし・・・。
ならばイタリアの音楽が世界的かというと、そうとも言い切れない。とりわけドニゼッティやベッリーニのベルカント・オペラ、ヴェルディやプッチーニの典型的イタリア・オペラは、メロディもリズムもイタリアならではの民族的(エスニック)な節回しに富んでいる。
その「イタリア的音楽」はイタリアの気候や風土から生まれたものであり、そこに生まれ育ったイタリア人にして初めて再現可能な音楽とも言えるだろう。しかし・・・。
佐野成宏の歌声を聴くと、ひょっとしてこの歌手の身体のなかにはイタリア人の血が流れているのではないだろうか、と思ってしまう。美しく伸びる高音、きわめて滑らかに響くイタリア語。その合間のブレスの瞬間にもイタリア人以上にイタリア的と思えるような節回しでイタリア悲劇のストーリーがドラマチックに奏でられる。
西洋音楽の世界性とイタリア・オペラの民族性を、見事に自分の血として表現する。何とも凄い歌手が日本に生まれたものだと、驚嘆の「ブラヴォー!」を叫ばないではいられない。そして・・・。
ヒブラ・ゲルズマーワのコロラチューラの澄み切った美しさには、言葉を失う。その澄明で一点の曇りもない高音は、まるで人跡未踏の岩山から湧き出している石清水の輝きのように清らかだ。あるいは彼女が生まれたカフカース(コーカサス)のアブハジア自治共和国には、そのような清水の湧くオアシスが存在するのだろうか。
ヒブラの実力は、マリンスキー劇場に客演したとき、あのゲルギエフに「いつでも歌いに来てほしい」といわれたほどだが、彼女は「自分が望むキャリアを築くためのベスト」との判断から、モスクワのダンチェンコ歌劇場をベースに欧州各地の歌劇場への客演を繰り返している。そして毎年アブハジアの首都スフミでの彼女の名前が冠された音楽祭での公演に力を入れている。
東方(オリエント)に奇蹟のように誕生したディーヴォとディーヴァ。二人の美声(ベルカント)が奏でるイタリア・オペラの世界は、近い将来、東方からさらに広い世界へと飛翔するに違いない。 |