肉体の死後硬直にも比すべき生体の“脳硬直”は現代という時代のなかで、そうとうな勢いで進行しているようである。
プロ野球の某監督がチームを優勝させたのは「球界広しと言えども大前研一まで読む人はいない。この勉強熱心な姿勢」の故である、などと書いた本があったので、某紙に笑止千万と書いたら、「どこがおかしい!?」と、著者に逆ギレされた。
その著者に、漱石、鴎外はもちろん、カフカやサルトルを読んでいる野球人もいることを教えてあげようかとも思ったが、話が通じそうにもないので止めた。
そうかと思うと、ある小説家が作・演出をした芝居を見て、「演劇に外部の新しい風を吹き込むためにも、文学畑の参加は歓迎すべきこと」などと書いた演劇評論家がいる。なるほど演劇という世界には内部と外部とがあって、文学とは演劇の外部に存在するものであるらしい。
そんな“脳硬直”した連中が跳梁跋扈する世の中に風穴を開けるため……というわけでもないが、小生はスポーツライターとしてオペラの公演を企画・演出することにした。
演し物はモーツァルトの『魔笛』である。この作品を選んだのはあらゆるオペラのなかで筋書が最もバカバカしく音楽が最も美しいからだ。
この矛盾に充ち満ちた芝居小屋音楽劇が、今も大勢の人々に愛されているのは、モーツァルトの見事な戯け(タワケ)ぶりが愛されているからにほかならない。ところが、偉大な楽聖の残した最高傑作である(それは事実だが)という先入観と権威主義にとらわれて“脳硬直”を起こすためか、これまでの上演では、ほとんどすべてが善の象徴であるザラストロと悪の象徴である夜の女王という二元論を根底に据えたものしかなかった(夜の女王のアリアや、侍女たちの三重唱が、あれほど美しいというのに!)。
しかも、あろうことか、ザラストロの善の世界が地球の環境破壊を救う、などという奇妙奇天烈良い子ぶりっこの倫理的メッセージを含む演出まで登場したのを見て、たまりかねて“外部”のスポーツライターが腰をあげたというわけである。
小生の演出では、モーツァルトの音楽に則して、まず、ザラストロと夜の女王がじつは夫婦であることを示す。そして二人で共謀し、タミーノとパミーナ、パパゲーノとパパゲーナという二組のカップルに愛の試練(ロール・プレイング・ゲーム)を課す。ところが、善人の役割に酔ってゲームと現実(虚実)の区別のつかなくなった夫のザラストロは、悪者として地獄へ堕ちる真似まで演じた強い女房の夜の女王によって、最後に本当の地獄へ落とされてしまう……。
配役は、夜の女王に大のオペラ・ファンで小生にマリオ・デル・モナコの素晴らしさを教えてくださった女優の富士真奈美さん。三人の侍女には澄んだ歌声が美しい沖縄民謡グループのネーネーズ。
ザラストロには野球解説者であり参議院議員の(当時)江本孟紀さん(彼には、ワーグナー作曲『タンホイザー』のヴォルフラムのアリア『夕星の歌』を『題名のない音楽会』で披露した実績があります)。
タミーノは、最近バリトンからテノールへの変声に成功した島田雅彦。パミーナは未定(タミーノの恋人役は島田氏に選ばせないと怒られます・笑)。
パパゲーノはもちろん美声のバリトンの小生。パパゲーナは小泉今日子(笑)。弁者は江州音頭の櫻川唯丸(彼は『URAMBAN』というCDで素晴らしい“語り歌”を披露しています)。三人の童子は雑誌『薔薇族』で公募(汗)。
悪漢モノスタトスは、タミーノの二役。同時に舞台に出るときは、タレント・ボクサーの渡嘉敷勝男が悪漢の身振りを演じ、その真情を隣でタミーノ役の島田雅彦が歌う。指揮は日本音楽界で唯一破天荒なマエストロ宇野功芳。
サア、この企画にカネを出すという御大尽はいないか? |