政界混乱。経済混迷。教育荒廃。社会頽廃。いったい21世紀の日本は、どうなるのか?
こういうときは音楽でも聴いてちょいと頭を休めたくなる。
宇野功芳、中野雄、福島章恭による『クラシックCDの名盤演奏家篇』(文春新書)は、クラシック音楽ファン必読のオモシロ本である。
作曲家篇の前著に続いて、三人の「耳利き」が丁々発止の激論をぶつける。
たとえばフルトヴェングラーについて、《バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンのどれを聴いても「俺はフルトヴェングラーだあ」といっている演奏であり(略)自分の悲劇をを吐露して満足している》と福島が書けば、《フルトヴェングラーという人は、存在そのものが音楽芸術を象徴していた》と中野が書く。
《この人(小澤征爾)の辞書に「手抜き」「妥協」という言葉はない》と中野が書けば、《ベートーヴェンの音楽とは、あの(小澤の)ように汗ひとつかかず、無感動に演奏するものだろうか》と宇野が書く。
《トスカニーニの演奏を、「冷たい」「厳しい」と敬遠するのは簡単だ。しかし、甘く心地よいばかりが「愛」でない》と福島が書けば、《福島さん推薦のワーグナー(略)も、ぼくにとっては無くても一向に構わない》と宇野が書く。
《絶対の注目盤》と中野が書いたバレンボイムのベートーヴェン交響曲全集を《僕の耳には天下の悪演に聴こえる》と宇野が書く。
そのうち自分(読者)も加わって……。なるほど……意見は、異なっているほど面白いのだ。
東儀秀樹『雅楽――僕の好奇心』(集英社新書)は、いま人気の若き美貌の雅楽師による雅楽解説。雅楽の歴史から楽器の解説、奏法の紹介まで。
さらにハワイで篳篥(ひちりき)を演奏するとイルカがよってきた話まで。そのうえドビュッシーからピンク・フロイドまで。実に素敵な日本人雅楽師が…いや、ミュージシャンが出現したものである。
こういう素晴らしい日本文化を知らない永田町の人が、「日本の未来は…」などと声高に語っているのかと思うと情けない。
宮崎正勝『ジパング伝説 コロンブスを誘った黄金の島』(中公新書)コロンブスが夢見た「ジパング」が、歴史のなかでどのように幻想として肥大化してきたかを、マルコポーロからムスリム社会(シンドバッドの世界)さらに古代ギリシア世界へとさかのぼって解明し、ついに夢幻と消えた経緯を紹介する。
西欧人の心を掻き立てただけでなく、ジパング伝説は、実際に大きく世界史を動かした。
《そこで問題になるのは、私たちは、新たなシステムの形勢の基盤となる新鮮なビジョンを、たとえ「幻影」という形であっても持ち合わせているかということである。(略)二一世紀の「ジパング」は何であり、どこに存在するのであろうか》
著者の指摘は鋭い。 |