金聖響さんと初めて出逢ったのがいつのことだったか、思い出そうとしてもなかなか思い出せない。それはたしか20年近く前のことで、佐渡裕さんのコンサートでの楽屋だったと思うが、あるいは札幌でのパシフィック・ミュージック・フェスティバルでのことだったかもしれない。
はっきり思い出せないのは、その後のお付き合いが親密になったからだろう。聖響さんのコンサートにトークのゲストとして招かれたり、司会を頼まれたり、『ベートーヴェンの交響曲』という本を一緒に出版したり、その第二弾
として『未完成から悲愴まで〜ロマン派の交響曲』という本を出したり……と、一緒に仕事をすることが連続している。
そんな聖響さんが、神奈フィルの常任指揮者に就任すると聞いたとき、私は神奈川県民の一人として、思わず「BRAVO!」と叫んだ。そして彼に白羽の矢を立てた神奈フィルのエライさん(どなたか存じませんが)の慧眼に、拍手を送ったものだった。
金聖響は、素晴らしい指揮者である――と書くのは、我ながら何という平板な表現! というほかないが、事実だから仕方ない。けっして仕事仲間を身贔屓するわけでなく、これまで客席に座った彼のコンサートには、何度も圧倒され、唸らされた。
ベルリオーズの『幻想交響曲』での悪魔たちの乱舞で響かせた見事なまでに奇っ怪な音! マーラーの『交響曲第一番巨人』の終楽章に轟いた迫力満点の豪快な響き! ベートーヴェンの『第九交響曲』での過去にまったく聴いたこともないような新鮮なサウンド。そし、まるで鋭利な刃物で指揮をしたのかと思えるほどの鋭敏な音の流れ! さらに、これまた過去に耳にしたことがない軽やかでいて滋味にあふれるブラームス!
金聖響は、聴衆を驚かせてくれる指揮者である。が、大向こうウケするような外連味を効かせて強弱をつけたり、テンポを動かしたり、色を付けたりするような指揮者ではない。すべては楽譜に書かれたまま。合理的な(理屈に合った)音の流れに従うだけ。ところが、その文字にすれば単純にも思える作業の結果が、見事な「驚き」を生む。
その理由は、ひとつには、これまで我々音楽ファンの聴衆が、あまりにも指揮者の我が儘勝手な解釈によって色づけられた音楽を聴かされ続けたせいでもあるだろう。そういえば、聖響さんは「解釈」という言葉が大嫌い、という以上に、理解できないという。 楽譜に書かれているままを追い求めなければならないはずだから、と。
そういう意思から生まれる音楽は、なるほどベートーヴェンはこんな音を求めていたのか、ブラームスはこんなサウンドを頭に描いていたのか、と納得できる「驚き」に満ちていて、その「驚き」自体がきわめて新鮮である。
とはいえ、聖響さんの指揮する音楽に私たちが「驚く」のは、そのような真摯に「原点(原典)」を求める志向からだけで生み出されるものではないだろう。
こんな書き方をすると、ひょっとして聖響さんは嫌な顔をして(あるいは苦笑いして)否定するかもしれないが、金聖響の指揮は美しい。その流れるようなタクトには、(おそらく)オーケストラのメンバーも、聴衆までもが魅了される。それは、音楽の勉強をいくら励んでも身につくものではない、聖響さんの人間そのものの現れとでもいうべきものだろう。
いつのことだったか、私がトークのゲストに招かれたコンサートで、聖響さんはスポーツに関係のある小品(主として行進曲)を数多く指揮したのだが(そのなかで『東京オリンピック行進曲』だけは私が指揮させてもらいましたが、そんな自慢話はどうでもいいことで)、そんな小品でもオーケストラのメンバーにいろいろと指示を出し、音のバランスを客席にいるスタッフに確認し、一曲一曲丁寧に音楽を仕上げていった。
ゲストとしてリハーサルから参加させていただいた私は、その姿を見て「いいなぁ」「見事だなぁ」と思ったものだった。
小品だから、たかが行進曲だから、手を抜いてもいい、などと思う不埒な音楽家はいないと思うが、聖響さんの丁寧な音楽作りは、見ていてほとんど感動するほどだった(いつか金聖響と神奈フィルも、リハーサルを、とくに子供たちに公開する機会をつくり、私の心に残ったのと同じ感動を与えてあげてください)。彼の流れるような美しいタクトは、そんな聖響さんの音楽にたいする、あるいは作曲者にたいする気持ちの現れに違いない。
正直いって私は、いまだになぜ音楽を聴いて感動するのか、よくわからない。クラシック音楽と呼ばれているジャンルの音楽が大好きになって40年以上聴きつづけているが、大きく心を揺すぶられるときと、そうでないときのあることが、いったいなぜなのか、はっきりとはわからない。
それが、音楽評論家の方々がよく指摘する、演奏の質とか、技量とか、解釈とか……によるものでないことだけは確かだと確信している。が、なぜ感動するときと、しないときが生じるのか……。
音楽とは、本当に不思議なもので、不思議だから素晴らしいものなのだろう。その不思議で素晴らしいものを操る指揮者は、ほんとうに魔法使いのようにも思える。そして、素晴らしい魔法使いを指揮台に招いた神奈フィルに、あらためて心の底から拍手を贈りたいと思う。
さあ、マエストロ! いや、聖響さん! 思い切り暴れてください。そして、日本のどのオーケストラも及ばない演奏を聴かせてください。あなたの魔法で!
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