コラム「音楽編」
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掲載日2012-04-25
この原稿は、指揮者の佐渡裕さんが書いた『僕が大人になったら 若き指揮者のヨーロッパ孤軍奮戦記』という文庫本(PHP文庫)の解説に書いたものです。まだお読みでない方は、抜群に面白い本ですので、是非ともお買い求めのうえ、御一読下さい。また、まだ発売中の文庫本ですので、小生の解説も一部を割愛して“蔵出し”します。全部読みたい方は文庫本か、PHP出版のホームページからの電子配信を、お買い求め下さい。

佐渡裕『僕が大人になったら』〜解説「デッカイことはいいことだ!」

 佐渡裕さんと初めて出逢ったのは1994年の7月、札幌で開催されていたパシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)でのこと。北海道の某テレビ局が、その音楽祭のドキュメンタリー番組をつくるというので、スタッフの一人として参加したときのことだった。

 そのとき、佐渡さんと顔を合わしたときの第一印象は、今も忘れられない。
「でかっ!」――というものだった。

 当時(今は、お互いにダイエットに成功してるが・笑)身長180センチ体重100キロの小生よりも、高さでも横幅でも重さでも、佐渡さんのほうが一回りも2回りも上回っていたことは誰の目にも明らかで、握手をしながら思わず「でっかいですねえ」と言うと、「あんたもやん」と京都弁と笑顔を返されたことを、今も憶えている。

「じつは私も京都の出身で、女房は上賀茂で、女房の姉の旦那が佐渡さんとおんなし太秦で……」と、自己紹介なのか何なのか、ただただ目の前の人物の大きさと零れんばかりの豊かな笑顔に圧倒されて、自分でも何を喋ってるのかわからないうちに(心の底で、音楽の話は何処へいったんや、と思いながら)、いつの間にか話題は、カツカレーのカレーのルウには肉が必要か否か……、阪神タイガースは(1985年以来)次はいつごろ優勝できるのか……といった方向へ飛んでいったように記憶している。

 それから10年近く、毎年夏はPMFのドキュメンタリー番組製作でお逢いし、番組に出演してもらったり、佐渡さんの指揮するバーンスタインの『キャンディード』や『オン・ザ・タウン』を楽しんだり、当時Jリーグのコンサドーレ札幌の監督をしていた岡田武史さんと3人でトークショウをしたり……と、最高に楽しく仕事をさせてもらった。

「指揮者って、言うことをきかんオーケストラのメンバーをクビにできるの?」
「立場によって、できる指揮者と、できひん指揮者がいますねえ」
「それってサッカーの監督もおんなしやなぁ」

 そんなトークに場内は大爆笑。岡田武史さんは、その後も東京での佐渡さんのコンサートに何度か足を運ばれ、ちょうどそのときプロレスラーの藤波辰爾さんが夫婦で会場に来られていて、本職がスポーツライターである小生も一緒に楽屋を訪れたときは、「今日は体育会系のお客さんばっかりやなぁ」という佐渡さんの一言で、全員大笑いしたものだった――と書いていて改めて気付いたのだが、佐渡さんと逢うときは、なぜかいつも、笑ってばかりいるのだ。

 そういえば佐渡さんが、甲子園球場のタイガースの試合で始球式を務めたことがあるのは有名な話だが、スポーツ雑誌で阪神タイガースの盗塁王・赤星憲広選手と対談してもらったこともあり、タイガースの久保投手コーチは兵庫県立芸文センターのコンサートに時々顔を出されるとか。それに神戸製鋼ラグビー部のGMである平尾誠二さんとは、奈良でのコンサートのときに3人でトークショウをした縁でコンサートにも何度か……と、佐渡さんの「スポーツ人脈」は、フランスでの柔道家人脈(東京オリンピック無差別級金メダルのヘーシンクを指導した日本人柔道家など)もふくめて、なぜか音楽以上に(というのは言い過ぎだろうが)太いパイプがあるのだ。

 また、今は亡きジャズ・ピアニストの世良譲さんが、コンサドーレ札幌の幹部と懇意ということで、一緒に食事をする機会があったのだが、そのとき世良さんが1960年代にヨーロッパへ演奏旅行に行った話をされ、「ベルリンのフィルハーモニー・ホールでも演奏した……」と言われたとたん佐渡さんの目の色が変わり、「音の響きは……? 雰囲気は……? 聴衆の様子は……?」と、矢継ぎ早に質問が口を衝いて出たこともあった(「ベルリン」に対する佐渡さんの意識は、どんなときにもメラメラと燃えていたんですね)。

 その翌日の野外コンサートで、佐渡さんが指揮したラヴェルの『ボレロ』は圧倒的に素晴らしい演奏で、客席から舞台裏へ駆けつけた世良譲さんが涙で目を潤ませ、「こんな見事な『ボレロ』は初めて聴いた」と言いながら、佐渡さんの手を強く握り締められたこともあった。

 世良さんとの共演の機会は残念ながらなかったが、本書にも登場するジャズ・ピアニストの山下洋輔さんとは98年のパリ公演のあとにも、2004年にイタリアのトリノで洋輔さん自身の作曲した『ピアノ協奏曲第一番「即興演奏家のためのエンカウンター」』を演奏され、その素晴らしいクラシックとジャズのコラボレーションは、CDとして発売もされた。

 ――と、佐渡さんの話を書き始めると、クラシック音楽の枠を飛び越えて、止めどなく広がっていってしまうのが常だが、わたしは佐渡さんの一友人として、また一ファンとして、その「広がり方」を、大いに懸念したものだった。というのは佐渡さんと出会って以来、私は、彼の歩んだ道のりに、ことごとく「反対」してきたからだ(いま考えると、それは単なる老婆心以下のどうでもいいことだったんですけどね)。

 もちろん、面と向かって「反対」したり「反論」したわけではなかったが、「今度、こんなことするんやけど、どう思う?」と佐渡さんから訊かれたときは、言葉を濁すことが多かった。

 本書にも登場するクリスタル・アーツの佐野光徳社長と食事をしながら、「裕ちゃんが今度こんなことするねんけど、どう思う?」などと言われたときも同じで、たとえば1999年の年末から『1万人の第9』の指揮をする、と聞かされたときも、思わず「う〜んんんん……」と唸って答えに窮してしまった。

 それだけではない。1997年から指揮を続けてきたシエナ・ウインド・オーケストラで、2002年8月から主席指揮者に就任すると聞かされたときも、どんな返答をしたかは忘れてしまったが、佐渡ファンの一人としてあまり喜ばなかったことは確かだった。そして2005年10月から兵庫県立芸術文化センターの音楽監督の座に就くと聞かされたときも、あまりいい顔をしなかったように記憶している。このときは、開館1年前に阪神地方で3日にわたって行われた『VIVA!バーンスタイン』というコンサートの司会役まで務めさせてもらったが、それにもかかわらず、心の底ではあまり納得してなかったのである(佐渡さん、かんにんやでぇ)。

 というのは、わたしの心の一角に(たぶん佐渡さんの心の一角に、常に「ベルリン」という言葉が存在していたのと同じように)、佐渡さんがそんなことしててもええのんやろか……という気持ちが、働いていたからだった。

 2008年4月から『題名のない音楽会』の司会をする……と、その年の正月、山下洋輔さんのニューイヤー・コンサートの打ち上げパーティの際に、佐渡さん自身の口から聞かされたときも、「それはサイコーに楽しみやねぇ……」と口では言いながらも、心のなかには何やらモヤモヤした灰色の雲が漂っていた。わたし自身、中学高校時代に黛敏郎氏の司会で毎週楽しんでいた番組だけに、それを佐渡さんがやるのは嬉しいことには違いなかったが、ただでさえ多忙を極めて日本とヨーロッパを飛びまわっているうえに週一のテレビのレギュラーまで抱え込んでしまうとなると……、いつになったらベルリン・フィルやウィーン・フィルの指揮台に……、とは口に出しては言わないけれども、どうしても心の隅に引っ掛かってしまうものが存在したのだった。

 しかもそのころは、予定していた指揮者が急病などのいろいろな事情で突然キャンセルとなり、ベルリン・フィルの指揮台に立つオファーが佐渡さんに何度かあったときだった。今年(2011年)3月に、名古屋で行ったトークショウで伺ったところによると、そのようなオファーは合計3度あったようで、残念ながら3度とも先に入っていたスケジュールが変更できず、「夢」は断念することになったらしい。

 そこで得た「結論」というか、「夢」に対する佐渡さんの姿勢は、臨時の代役で指揮台に立たせてもらうのでなく、きちんと実力を評価されて定期演奏会に招かれなければ……というもので、それが2011年5月の定期演奏会で実現したからよかったものの、その発表(前年の4月)のあるまでは、国内での様々な活動よりも――それらはもちろん悪くはない……どころか、じつに素晴らしいことなんだけれども、それよりも、一日も早くベルリンやウィーンで……という気持ちが、わたしの心のどこかに蠢きつづけていたのだ。それが佐渡さんの友人の一人としても、佐渡ファンの一人としても、偽らざる心境だった。

 しかし、佐渡さんの「夢」が実現する運びとなったから言うのではないが、ひょっとして、こういう考え方は、少々古い考え、昔の考え方、と言えるのだろう。

 学生時代の小澤征爾氏は、3歳年長の山本直純氏から、「自分は音楽の裾野を広げる。お前は世界を目指せ」と言われたという。それは(古い?)クラシック音楽ファンにはよく知られたエピソードで、山本直純氏は愛嬌溢れる口髭面で指揮棒を振りまわし、テレビの『オーケストラがやってきた』という番組や、チョコレートのTVコマーシャルで大人気を博す一方、小沢征爾氏はボストン交響楽団の音楽監督からウィーン国立歌劇場の音楽監督へと、それこそ「世界」へ羽ばたいた。

 そのような先人たちの見事な足跡が存在するためか、われわれは(少なくとも、わたしは)心のどこかに、音楽の「裾野を広げる」作業と、「世界をめざす」営みは、どこか両立しないもの、二律背反であるようなイメージに縛られるところがあった。

 もちろん小沢・山本両先人の時代は、そのような「分業」が「常識」と考えられていた時代だったのだ。が、現在は、どうやら「時代」が変わったようだ。ひとりの「新しい人間」が「新しい時代」を牽引するのか、それとも「新しい時代」の空気が「新しい人間」を生むのか……それがどっちなのかはわからない。が、佐渡さんは、本書で、こう書いている。

《僕は最近まで「自信」とは、自分を強く見せることのように錯覚していた》しかし《自信とは、ありのままの自分を信じられること》――。

 ほとんど理屈を振りまわすことなく、面白い体験談ばかりが書かれた楽しいエッセイのなかで、あまりにも素直な「理屈」が控えめに書かれているのが、いかにも佐渡さんらしいが、この言葉には、心の底から「ほんまに、そのとおりやでぇ!」と、思わず声を張りあげてしまった。

「ありのままの」佐渡裕さんは、初めて出逢ったときの第一印象どおりに、ほんまに「デッカイ男」なのだ……。

 そういえば、山本直純氏がテレビのCMで、気球に乗って大空に浮かび、籠から身を乗り出して指揮棒を振りまわしながら、ひげ面に満面の笑みを浮かべ、♪大きいことはイイコトだぁ〜……と大声で歌っていたのは、そういうことだったのだ……。そうや! そうに違いない! ♪デッカイことは、いいことだぁ〜……なのだ。

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