「オペラ」が「ブーム」といわれるようになって久しい。
最初のきっかけはバブル。企業やメディアが次々と海外のオペラ座を招聘し、5万円を超すチケットが飛ぶように売れた。
さらに「三大テナー」(パヴァロッティ、ドミンゴ、カレーラス)が数万人の聴衆を集める巨大な野外コンサートを実現。オペラからポップスまでを歌って話題を振りまいた。
そして現在。バブルはとっくに泡と消えたが、「オペラ・ブーム」は消えず、全国各地でオペラの来日公演・自主上演が続いている。
何故か? 答えは簡単。オペラが面白いからである。多くの日本のファンを獲得したからである。
かつてオペラは、難しいもの、高級なもの、と思われていた。クラシック音楽ファンが学者もどきの理屈をこねたり、ドレスやタキシードに身を包んだセレブがステータス・シンボルとして嗜むもの、と思われていた。
が、いちど見てみれば何のことはない。男と女が不倫に走り、愛し愛され、憎み憎まれ、その劣情ともいうべき感情を、音楽にのせて歌いあげるだけのこと。
その絢爛豪華な舞台は見る者を驚嘆させ、大オーケストラのサウンドを伴って輝く声は、聴く者の魂を揺すぶり、身体をふるわせる。
そのエクスタシーを少しでも経験した多くの人が次々とオペラにハマッた。そしてブームは消えずに続いた。それだけのことなのだ。
このブームに乗れなかった人は不幸である。オペラの「毒」にまだ中(あた)ってない人は、人類の文化史上最大の悦楽を味わわずに人生を過ごす淋しい人というほかない。
ましてや日本にはオペラの伝統がある。日本人にはオペラを楽しむ血が流れている――と書くと、「?」と首を傾げる人がいるかもしれない。が、ギリシア悲劇を音楽とともに楽しもうと意図してオペラが誕生したのは16世紀末のイタリア。そのちょうど同じ時期、日本では出雲の阿国が、オペラと同じ歌と踊りと芝居のエンターテインメントを演じて大ウケした。
地球の反対側で、何故かまったく同じ時期に、同じ種類、同じ構造の芸能芸術が誕生したのだ。
その後、日本の歌舞伎は人形浄瑠璃の大作家近松門左衛門の登場や、市川団十郎・坂田籐十郎といった大スターの登場によって、日本人の心情を表現する一大娯楽に発展する。
一方オペラは、大天才モーツァルトの登場で一般大衆の大人気を博すと同時に、イタリア語だけでなく、ドイツ語オペラも誕生。そして19世紀になってイタリアのヴェルディ、ドイツにワーグナーという二人の大オペラ作家が次々と傑作を発表。さらに二大巨匠に続いてイタリアにプッチーニ、ドイツにR・シュトラウスいう大音楽家も現れ、人気オペラを量産した。
いま名前をあげたモーツァルト、ヴェルディ、ワーグナー、プッチーニ、R・シュトラウスの5人の作品だけで、現在世界中のオペラ・ハウスの上演演目の8割近くを占めるほど。いわば「歌舞伎十八番」。
歌舞伎ファンもオペラ・ファンも、同じ演し物を繰り返し見て、繰り返し笑い、繰り返し泣き、素晴らしい役者(歌手)に「大統領!」(ブラヴォー!)と声をかけ、拍手を贈り、舞台を楽しんでいるのだ。
いまでこそ音楽劇は世界に広がる地球規模の文化といえるが、フランスやロシアは舞踏劇(バレエ)が中心。英語圏はアメリカでミュージカルが生まれ発達するまでは朗読劇(シェイクスピア)が中心で、音楽劇の中心として最も多くの名作を生み出したのは日本とドイツとイタリア、すなわち「日独伊」だったのだ。(このあたりの「説」は、永竹由幸氏の『オペラと歌舞伎』を参考にさせていただいてます)
この三国の民族が、なぜか互いに心情的親しさを感じるのは、過去の政治関係ではなく、互いに「音楽劇」を愛する民族だから、といえそうだ。だから日本人なら誰でも、いますぐにでもオペラ・ファンになれるのですよ。 |