京都生まれ京都育ちのわたしがいうのだから絶対に間違いはないが、京都に暮らす人々は、総じて「いけず」である。
「いけず」とは「意地悪」という意味の京都弁だが、京都の旧家を訪ねて「なんにもおへんけど、ちょっと柴漬けで、ぶぶづけ(茶漬け)でも…」とすすめられ、「それは、ありがとうございます」といただこうものなら、あとで「えらい厚かましい人や」と陰口を叩かれることは覚悟しなければならない。
もっとも、「時間がないので」と遠慮したところで、「人が気ぃつこてるのに、愛想の悪い人や」といわれるから、陰口に打たれ強くならなければ、京都人とは付きあえない。
とはいえ、それほど気にすることはない。「五月の鯉の吹き流し、口先ばかりで腸(はらわた)はなし」というのは江戸っ子の別称だが、京都人も江戸っ子と同じ町っ子。陰口悪口は挨拶代わりのようなものである。
では、どうしてそんな「いけず」をするのかというと、京都が古くからの都だったから、である。都には見知らぬ人がたくさん押し寄せる。都で一旗揚げようともくろむ人は善人ばかりではない。なかには都人を欺して、自分が都人に取って代わることを企む輩もいる。
そんな連中が毎日のように次から次へと押し寄せ、話しかけてくることが千年以上も続いたのだから、心が「いけず」ならないほうがおかしい。顔では愛想笑いを浮かべながらも腹の底では……。それが、都人の処世術であり、常識といえるのだ。
その証拠に京都と姉妹都市になっている古都の住人は、洋の東西を問わず総じて「いけず」である。パリに住むパリジャンやパリジェンヌも、ボストンに暮らすボストニアンも、そしてフィレンツェのフィオレンティーノやフィオレンティーナたちも……。
プッチーニのオペラ『ジャンニ・スキッキ』をわたしが知ったのは、いまから30年以上前の高校生のとき、30センチLPの時代だったが、対訳と首っ引きでこのオペラをはじめて聴いたときは、腹を抱えて転げまわりたくなるほど大笑いした。
これは、京都の話ではないか!
「泣く泣くも良いほうをとる形見分け」という川柳があるが、そら、都で一旗揚げて成功した御大尽が亡くなったとなると、えらいことどっせ。おまけに遺書がないとなると、残された遺族は、笑てる場合やおへん。
そこでジャンニ・スキッキを引っ張り出して、自分に有利な遺言を新たに作ってもらおうとするのだが、古都の町内には必ずひとりかふたり、こういう顔役がいるもんです。
いつもは陰で「牛のケツ」などと悪口を囁かれながらも(「牛のケツ」とは「モウの尻」つまり「物知り」を揶揄した言葉)、イザというときは、その「物知り」の顔役が頼られる。ところが、そういう人物こそ「いけず」の典型というべきか、百戦錬磨の都人であるだけに、一筋縄ではいかしまへん。
というわけで、『ジャンニ・スキッキ』をはじめてLPレコードで聴いたとき、わたしは、主人公のジャンニ・スキッキはもちろん、腰の曲がった婆さん(ツィータ)も、高齢の番頭さん(シモーネ)も、その息子(マルコ)も、ちょっと気取った夫婦(ゲラルドとネッラ)も、そして医者(スピネルロッチオ)も公証人(アマンティオ)も、すべて実在の御近所さんたちの顔や姿が鮮やかに頭に浮かび、笑いが止まらなくなったのだった。
まだハイティーンで世の中の酸いも辛いも知らないながらも、この遺産相続ドタバタ・スラップスティック喜劇を存分に楽しめたのは、京都祇園町という「いけずな世界」で生まれ育ち、そよ風に乗って聞こえてくる御近所のさまざな陰口を小耳に挟んでいたからにちがいない。そのなかには、ある置屋の芸妓はんが旦那はんの遺産をうまいこと…という話も、もちろん現実にあった。
そして、そんな「いけずな世界」にまだ毒されていない若い恋人リヌッチオとラウレッタに心を惹かれた。二人がプッチーニの残した美しいメロディに乗せて歌う「さらば美しい夢よ」とという歌詞が、なぜか、ジャンニ・スキッキが最後に何度も叫ぶ「さらばフィレンツェ」という言葉と重なり、ドラマに笑い転げながらも、こんな「いけずな世界」から早く出て行きたいと思ったものだった。
その後、望み通りに「いけずな世界」を飛び出して30余年。世の中とは、善か悪か、とか、イエスかノーか、といった具合に単純に二分できるものでない、と理解できる年齢になった現在、つまり、古都の「いけず」もなかなか乙なものである、と思えるようになった今日この頃、『ジャンニ・スキッキ』は、わたしにとって、故郷(と呼ぶには派手すぎる街だが)の素晴らしさと奥行きの深さを改めて思い出すことのできる愛着あるオペラになっている。
数年前、そのオペラを京都弁で上演したいから訳詞をつくってくれ、といいだしたのは、小生の無二の友人で、昨年惜しくも早世した狂言界の鬼才・野村万之丞だった。狙いは改めて訊かなくてもわかる。わたしは早速いくつかの訳詞をつくった。
好きやねん お父ちゃん うち ほんに本気やねん あのひとと夫婦(めおと)に なりたいのんやねん もしあかんいうんなら うち 身投げするさかい 三条の橋から鴨川へ 三条の大橋から鴨川へ… 好きやねん お父ちゃん かんにんして お父ちゃん…
もちろんこれは、フィレンツェ訛りのラウレッタのアリア『私のお父さん』を、京都弁に翻訳(舞台を京都に翻案)したものである。残念ながら、諸般の事情から京都弁歌劇『神野宗吉』は実現しなかった。が、わたしは、いまも、このプッチーニのオペラは、室町時代の京都が舞台だと思えてならないのである。 |