「クラシックがわかるの?」
「オペラがわかるの?」
10代のころに、『新世界交響曲』や『ラ・ボエーム』を聴いていると、よくそんな質問をされて、答えに困った。クラシックやオペラを楽しんではいたが、「わかる」といえるほどの自信はなかった。そこで、「ええ、いや、まあ・・・」などとお茶を濁していたのだが、そのうちに、おかしなことに気づいた。
チャック・ベリーやプレスリーを聴いていても、「ロックンロールがわかるの?」とは訊かれない。ルイ・アームストロングやオスカー・ピーターソンを聴いていても、「ジャズがわかるの?」とは訊かれなかった。レイ・チャールズを訊いていても、「リズム・アンド・ブルースがわかるのか?」と訊かれたことはない。ボブ・ディランやジョーン・バエズを聴いていて、「フォーク・ソングがわかるの?」と訊かれたこともない。
要するにオペラやクラシック音楽だけ、「わかる/わからない」という価値判断が存在したのである(ただし、私が高校生のころにジョン・コルトレーンを聴いていると、「そうか、ジャズがわかるのか」といって喜んでくれた教師がいたが・・・)。
クラシック(やモダン・ジャズ)は「難しい」という先入観を持つひとが多い。だから「わかる/わからない」という基準が生じるのだろう・・・。とは思ったものの、私にはそれらの音楽以上に「わからない」音楽があった。それは、ビートルズだった。
私が小学校中学年のころに"Love me do"や"Please please me"でデビューしたビートルズは、私が中学高校大学と進む間、つねに世界のミュージック・シーンの中心で、あるいは最先端で大活躍し続けた。
彼らの音楽は衝撃的だった。チャック・ベリーやプレスリーの音楽が定着し、ベンチャーズがデケデケデケデケと大音量を響かせていたとはいえ、まだまだコニー・フランシスやパット・ブーンも健在で、テレビではスマイリー小原が腰をくねらせている前でザ・ピーナッツや中尾ミエが『可愛いベイビー』や『ワン・ボーイ』を歌っていた。
そんなところへ"A hard days night"や"Please Mr. postman"や"Mr. moonlight"や"Help!"が出現したのである。そのサウンドは、マッシュルームカットの髪型や女性ファンの失神者が続出したこと以上に衝撃的だった。
大声でシャウトしているにもかかわらず、意外とハーモニーは美しく、メロディラインが斬新で――などということが「わかった」のは、もっとあとになってからのことだったが――とにかく、ビートルズの音楽が過去になかった新しい音楽を創造していることだけは「わかる」ような気がした。
ベンチャーズの音楽は、よく聴けば、ムード音楽をエレキギターにのせて演奏しただけのことだったし、日本のグループサウンズは、歌謡曲の域を出ないものが多かった。ブルー・コメッツの『ブルー・シャトウ』はまるで小学唱歌か童謡だったし、加山雄三の歌は東海林太郎に似合う気がした。
それにビーチボーイズやローリングストーンズは、どの曲もよく似たサウンドで、ビートルズのような多彩さに欠けていた。
なるほどビートルズは面白い。凄い。ただ者ではない。小生意気にも、中学時代に、友人たちと、そんな評価を下し合ったことを、いまも憶えている。
ところが、困ったことが起きてしまった。ある日、突然ビートルズの音楽が「わからなく」なってしまったのだ。それは"Sgt. Peppers"のアルバムを聴いたときのことだった。
なんじゃ、これは!
それが、第一印象だった。
軍楽隊のブラスバンドがブンチャカブンチャカ鳴り響き、♪宮さん、宮さん、お馬の前で・・・のようなメロディが流れる("Yellow submarine"や"Sgt. Peppers lonely hearts club band")。そうかと思うと、バルトークの弦楽四重奏のような伴奏が入る("Eleanor Rigby")。インドのシタールが民族音楽を奏で("Love you to")、アメリカのボーイスカウトがハイキングのときに歌うようなメロディもある("All together now")。イギリスの国歌まで流れたうえ("All you need is love")、ドラッグ体験を表現した(といわれる)メロディ("Lucy in the sky with diamond")があるかと思うと、"Love me do"以来の典型的ビートルズ・サウンドもある("Think for yourself"や"Nowhere man")。
しかし、何よりも驚いたのは"When I'm sixtyfour"だった。クラリネットの剽軽な伴奏にのって、スコット・ジョプリンのスロウなラグ・タイムのような(映画『スティング』のテーマに使われた『エンターテインメント』のような)軽いメロディ・・・。
これが時代の最先端を走るロック・グループのアルバムか!これが、ロックといえるのか? まるでドンキイ・カルテットが浅草演芸ホールでやるような音楽じゃないか! マンガ(『イエロー・サブマリン』)に使う音楽だから、こうなったのか?
そんな疑問が頭に浮かんだ。が、それ以上に不思議だったのは、ロックに凝り、自分でもエレキギターを演奏していた友人が、「サージェント・ペパーズは凄い!」と断言したことだった。
「おまえ、ビートルズがわかるのか?」そう聞きたい衝動を抑えて、「やっぱり、ビートルズは凄い」と口を揃えたのは、私が餓鬼だったからである。
しかし、そう応じながらも、私は、心の底で、「おれにはビートルズがわからない」という強迫観念にも似た気持ちを打ち消せなかった。世界中の誰もが、裸の王様に向かって、素晴らしい衣裳ですね、といってるのではないか・・・。
それがきっかけになったのか、私はビートルズを聴くことをやめ、マーラーやストラヴィンスキー、ヴェルディやワーグナーへと走った。こっちのほうが、よほど、わかりやすかった。
そのため、『ホワイト・アルバム』『アビイ・ロード』『レット・イット・ビー』といったアルバムの素晴らしさに感激するのが普通の人たちよりも10年近く遅れ、20代の半ばを過ぎてからのことになってしまった。
まったくつまらないことに悩まされてしまったものである。
音楽に「わかる/わからない」という区別など不必要・・・と思っていた自分が、そのつまらない呪縛にからめとられてしまっていたのである。
何かの本で読んだことだが、日本語の「わかる」という言葉は「わける」から生じたという。
これはロック、これはクラシック、これはポップス・・・と、音楽を「わける」と何やら「わかる」ような気になる。「わかった」ような気がする。だから、ビートルズの『サージェント・ペパーズ』を「ロック」だと思えなかった(わけられなかった)私は、「わからなくなった」と思ってしまったのだ。
また、クラシックや(モダン・ジャズ)に「わかる/わからない」という判断基準を持ち込んでいるひとは、ベートーヴェンとブラームスの違いというような「分類」を「知識」として持っていないと「わからない」と思いこんでいるのだ。
音楽は、楽しめばいいだけのものなのに・・・。
最近、デジタル処理で新しくなった『イエロー・サブマリン』(かつての『サージェント・ペパーズ』)が発売された。それを聴き直してみて、ビートルズが、「わかる/わからない」などという区別を超越し、音楽の純粋な楽しみを追求した大天才グループであることを再確認した。ということは、ビートルズは、音楽を最も「わかっていた」といえるのだろう。 |