五嶋龍の奏でるヴァイオリンを「ほんとうに素晴らしい!」と最初に思ったのは、1995年の夏、札幌で開催されたPMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル)でのことだった。
1988年7月13日生まれの龍君は、そのときまだ7歳になったばかり。子供用の小さなヴァイオリンを手に、佐渡裕の指揮するPMFオーケストラ(世界中から集まった学生オーケストラ)をバックに、パガニーニの『ヴァイオリン協奏曲第一番』を演奏した。
「天才」と呼ばれる姉の五嶋みどりのデビューが12歳。それより5歳も若く、「神童」と呼ばれた世界的ヴァイオリニストのエフディ・メニューインと同じ7歳(月数と日数をくわえれば、それを上回る早さ)でのデビュー・・・。
そう聞かされたときは、正直いって、あまり愉快な気分になれなかった。
おそらくわたしのツムジが少々曲がっているせいもあるのだろうが、「曲芸」とか「猿まわし」という言葉が頭の片隅に浮かんだ。身長が1メートルにも満たない子供に、超絶技巧を要するパガニーニの難曲を弾かせる。それは、期待感を抱くよりも先に、心に棘が刺さったような気分に陥る出来事だった。
しかし演奏が始まってすぐ、そんなつまらない思いは吹き飛んだ。あまりの素晴らしい演奏に唖然とした。まったく馬鹿げた言葉を思い浮かべたものだと、自分自身が恥ずかしくなった。技術の見事なことにも舌を巻いた(ヴァイオリンの奏法に詳しくないわたしには、指が猛烈に速く動くことに驚嘆するのみだった)が、彼の奏でた音楽に激しく心を揺さぶられた。鋭く弾ける音。優しく滑らかに伸びる響き。小さく震えるようなピアニッシモ。雄大に広がるフォルテッシモ。
身長187センチの指揮者の佐渡裕が、自分の背丈の半分くらいしかないヴァイオリニストの弓に合わせてタクトを振った。そんな天才ヴァイオリニストのデビューに立ち会えたことに、心の底から喜びがこみあげてきた。
その演奏会のあと、興奮しきったわたしは、五嶋みどり、五嶋龍という二人の「神童」を育てた母親の五嶋節に向かって、思わず次のような言葉を口走った。
「いったい、どんな魔法を使われたんですか?」
「魔法やなんて、そんな・・・。ただヴァイオリンを教えただけですがな。たいしたことをしたわけやないですから・・・」
その少しばかりアクの強い関西弁を聞いた瞬間、思わず一緒に大笑いして、それ以上は何も訊けなくなった。が、「たいしたことをしたわけやない」という言葉が心に残った。
2度目に五嶋龍の演奏を聴いたのは、2001年の正月だった。そのとき12歳になっていた龍君は、東京のカザルスホールで二週間近くにわたる連続リサイタルを開いた。
ベートーヴェンの『ヴァイオリン・ソナタ第1番』やクライスラーの『美しきロスマリン』『ウィーン奇想曲』といったヴァイオリンの小品を並べたコンサートで、彼の驚嘆すべき高度な技巧と高い音楽性に、一段と磨きがかけられていた。
その見事な成長ぶりに驚いているわたしに向かって、リサイタルの初日と最終日の演奏を2度にわたって聴いた友人が、こういった。
「2週間のあいだでも、すごい成長なんだから、5年半ぶりに聴いて驚くのは当然だな」
しかし、このときさらに驚いたのは、彼の響かせたヴァイオリンの音色だった。妖艶なまでの艶っぽさ。ウイットに富んだ抑揚。おそらく、まだ恋も知らず、人生の機微にも無知なはずの12歳の少年に、どうしてこんな味わいにあふれた演奏が可能なのか? 彼に、どんな魔法がかけられたのか? いや、音楽そのものが魔法というべきものなのか?
もっとも、そのリサイタルが終わったあとの龍君は、少しばかり不満げだった。
「アメリカで演奏すると、一曲一曲終わるたびに、『ブラヴォー!』って凄く騒いでくれるのに、日本のお客さんはおとなしいから、うまくいってないのかと思って最初のうちは心配になった・・・」
リサイタルをすべて終えたあとのパーティーで、龍君が口にしたそんな言葉を聞いて、わたしは思わず微笑んだ。
たしかに、日本人の観客はアメリカ人よりおとなしい。でも、「ブラヴォー!」の声が出なかったのは、それが原因じゃない。いつもなら「ブラヴォー!」と叫ぶわたしも、叫べなかった。きみの演奏が、あまりにも素晴らしすぎて・・・。きみの演奏が、ただ単なる技巧だけじゃないとわかったから・・・。「曲芸」なら大騒ぎしただろうけど、きみの音楽が心に染みたから・・・。
そんな言葉を返したかったが、身体を屈めて話さなければならない目の前の小さな少年に、うまく伝わるかどうか不安になった。そこで、複雑な話はやめて、「ブラヴォー!」といいながら腰を屈めて握手をするだけにした。もっとも、次に五嶋龍と会ったときには、そんな子供扱いがまったく不要であることを思い知らされたのだった。
五嶋龍に3度目の驚きを感じたのは、カザルスホールでのリサイタルから約半年後の9月6日、京都のコンサートホールでハチャトゥリアンの『ヴァイオリン協奏曲』の演奏を聴いたときのことだった。
使っているヴァイオリンは、まだ子供用だった。が、その演奏は「雄渾」ともいうべき広がりまで感じさせるものだった。
「身体や顔つきはまだ子供やけど、音楽家としては、すでにそうとうの距離を走ってるね」
京都市交響楽団を指揮して五嶋龍をサポートした佐渡裕が、そういった。
「けど、音楽だけやなくて、他の話もいろいろ面白いから、子供やと思わずに何でも訊いてみたらええよ。びっくりするで」
講演やコンサートの司会などで何度か一緒に仕事をした気安さから、そんな情報をもらったわたしは、隣の楽屋の椅子に腰掛けていた少しひ弱にも見える少年に向かって、少々大胆とも思える言葉を投げかけた。
――ハチャトゥリアンなんて、どうして、そんなに難しい曲を選んだの?
「楽譜を見て、面白いと思ったから」
――モーツァルトなんかのほうが簡単では?
「そう。モーツァルトは休みが多いし、テンポもゆっくりしていて古臭い感じだから、簡単かもしれない。けど、モーツァルトは、演奏する人によって古くも新しくもなるから、難しいともいえる」
――モーツァルトが新しい音楽になる?
「そう。弾く人によって」
――でも、モーツァルトはビートルズよりも古い音楽だよね。
「それは、時代的にいえばそうだけど、モーツァルトの音楽も、かつては新しい音楽だったわけで、そのときの新しさというのは、いまもあると思う。だから、そういう意味では、ロックなんかの音楽が、モーツァルトの音楽より新しいといえるかどうかはわからない」
そんな会話のなかで、わたしは、口にしてから、すぐに「まずい!」と思うような失礼な質問をしてしまった。
――ニューヨークの小学校で、友達なんかに、変な子だと思われてない?
「いわれないですよ。音楽では変わったことをしたいけど、普通の生活ではオーソドックスでいたいし、そうしてるから」
わたしを救ってくれた笑顔は、12歳の子供の微笑み以外の何物でもなかった。それからあとは、自分がインタヴュアーであることなど忘れて、ただ会話を楽しんだ。
本を読むのが好きで「夏休みには15冊くらい読んだ」という彼は、絵画は「ちょっと変わってるのが好き」で、「いまはエッシャーに興味がある」といった。また、ニューヨークで暮らしている彼にとって、イチローや新庄のメジャーリーグでの活躍は、「とっても嬉しかった」とも。「スタジアムへは、まだ行ったことがないけど、彼らの活躍を見てると、自分も日本人でよかったと思う」
――これからずっとヴァイオリニストとして生きるの?
「それは、わからない。でも、しばらくはヴァイオリンを弾く。それでお金を稼いだら、コロラドに木の家を建てて、何もせずに暮らしたいとか、そんなことを思ったりする。けど、まだまだ先のことだから、わからない」
たしかに、五嶋龍は天才である。神童といってもいいだろう。
もちろん、天賦の才に恵まれさえすれば、誰もが天才的音楽家になれるというものでもない。音楽の演奏技能を身につけるためには鍛錬が必要である。そして、その鍛錬を施し、天賦の才を引き出し、磨きあげる有能な指導者が絶対に不可欠となる。
五嶋みどりと五嶋龍という二人の天才ヴァイオリニストを育てた母親の五嶋節が、有能な指導者であることは、もはや疑いない事実といえるだろう。
とはいえ、ヴァイオリンの奏法にも音楽理論にも無知で、ただただ音楽を楽しんでいるだけのわたしには、(たいへん失礼な言い方になるが)この1949年大阪府守口市生まれのおばさんの、どこにそんな才能が隠されているのか、まったく理解できない。
(中略)
伝え聞くところによると、五歳のときからヴァイオリンを始めた母親の節は、練習には不熱心だったが、天才的なひらめきを発揮し、神戸の相愛高校音楽部ヴァイオリン科をトップの成績で卒業したという。相愛大学時代も大学オーケストラのコンサートマスターを務めるほどで、「ひょっとして、母親のほうが五嶋みどりの現在の地位に立っていたのでは」という声も聞く。しかし――
「あんた、そんな・・・、それは、ないですよ。わたしなんか、ぜんぜんダメ。練習も嫌いやったしね。そんなになれるわけないです。わたしがヴァイオリンを始めたのは、何か生きていく手段というか、手に職を着けさせようと思って親がやらせただけでね。その頃は米ソの冷戦の時代で、日本の将来もどうなるかわからんときやったから、日本だけでなく世界中で理解されてる音楽でも身につけておけば、世の中がどうなっても生きていけるから、と。それで、ヴァイオリンやらされただけのことで・・・」
(中略)
「自分の夢を子供に託そうやなんて、そんなことを考えたんとも違います。ほんとに。それは、違う。みどりや龍が将来生きていくうえで、あたしが手助けしてやれるのはヴァイオリンだけ。ヴァイオリンしかなかった。そやから、自分のできることをしただけです」
――鬼になって猛練習をさせたとか、いわれてますけど(笑)
「そんな、オーバーな(笑)。でも、まあ、中途半端は嫌いな性格かもしれません」
――子供にヴァイオリンを教えてよかった?
「そう・・・。よかったと思いますね。それしかなかった。けど、悪くもなかった。いまは、親子の断絶とか、親子で会話がないとかいわれますけど、親子で音楽という共通の話題を持てるというのは、よかったと思いますよ」
――たった、それだけ?
「それだけって?」
――だって、天才ヴァイオリニストを2人も育てられたんですよ。
「そんな・・・。また、オーバーなことを。親子で同じ話題の話ができたら、それでよろしやないですか。それがいちばんええことやないですか・・・」
そういって関西弁のおばさんは、明るく笑う。その笑顔を見ながら、なるほど、と思った。なるほど、音楽とは、じつは非常に個人的な営みなのだ。他者にメッセージを発し、他者の評価を得る以前に、音楽にとっては、音楽家個人の生き方のほうが重要なのだ。その生き方が充実していなければ、おそらくメッセージにもならないのだ。
ニューヨークにあるアパートメントの広いリビングルームには、ソファの上にゴーギャンやピカソの絵がパッチワークされたクッションが置いてあった。そういえば、このお宅を訪れたとき、龍君へのおみやげとしてエッシャーと広重の画集を持ってきた。すると、節さんのほうが先にその本を広げて、しげしげとページを食い入るように眺めた。
「へええ。広重って、もっと古臭い印象があったけど、こんなモダンな絵も描いてたんですか。知らんかったなあ・・・。それに、このエッシャーも面白いなあ・・・」
そのあとで、龍君がエッシャーの画集を広げて眺めた。その本を持つ姿、絵を見入る表情が、生き写しだった。
親子なら当然のことといえるのかもしれない。が、そのときわたしは、「神童」とか「天才」と呼ばれる人物の生まれ出る秘密の一端に、ほんの少しばかり触れたような気持ちになった。子供は親の背中を見て育つ。そんな言葉も思い出された。
もっとも、いまに、息子も母親の背中を見なくなるときが訪れる。五嶋みどりもそうだったように、五嶋龍にも必ず巣立つときが訪れる。そのとき、そして、その先、彼がどんなヴァイオリニストになっているのか・・・。
それは誰にもわからない。あるいは、「ヴァイオリンなんて、いつやめてもええ」という母親の言葉どおりに、ヴァイオリンとは無縁の生活に入っているかもしれない。
しかし、一つだけ確かにいえることがあるように思える。それは、彼がいま、空手に、学校に、ヴァイオリンに、充実した日々を送っているのと同じように、未来でも充実した生活を目指すに違いない、ということだ。母親が、そうしつづけてきたように。
もちろん、充実した日々を送ることができれば、当然、彼の奏でる音楽もさらに素晴らしいものとなり、わたしたちの心をふるわせてくれることだろう。 |