五嶋みどり、五嶋龍という二人の「天才ヴァイオリニスト」を育てあげた母親・五嶋節さんの著書『「天才」の育て方』(講談社現代新書)によると、「子供はみんな天才」だという。たしかに、3歳くらいの子供が、わずか5年、10年という年月を過ごすうちに、言葉をおぼえ、生活習慣を身につけ、学校へも通い出し……と成長するのを見て、同じ期間に大人がいったいどれだけの成長することができるか、ということを考えれば、「子供はみんな天才」というべきだろう。
しかし、そんななかにも「天才的」に成長の早い子供が存在することも事実で、両親からの遺伝によるものか、その結果としての脳の構造が違うのか、その詳しい理由はわからないが、理由がわからないからこそ、彼らは「神童」(神の子)と呼ばれたり「天才」(天賦の才に恵まれた人物)と呼ばれたりする。
この映画の主人公ヴィトゥスも、まさにそのような「真の天才」というほかない子供で、数学も哲学も歴史も、何でもかんでもすぐに頭に入る彼の頭脳は、現代社会ならではの株取引でもその才能を発揮する。とはいえ、ヴィトゥスがその天賦の才を最も発揮するのは、やはり音楽である。
音楽は(小説や演劇や具象の絵画等と異なり)基本的に抽象的な芸術で、理屈抜きに他の人々の魂を鷲掴みにし、心を揺さぶる。なぜ多くの人々が、その音楽に感動するのか、理由はわからない。わからないからこそ、天才にふさわしいジャンルといえる。
従って、この映画でも音楽が大活躍する。
ピアノの天才フランツ・リスト作曲による『ハンガリア狂詩曲』や『ラ・カンパネッラ(鐘)』(*)はピアニストの超絶技巧が問われる名曲で、ヴィトゥスのような天才児にふさわしい名曲といえるだろう。
『ボレロ』の作曲者として高名なモーリス・ラヴェルの『道化師の朝』も、変拍子の繰り返しが極めて高度な技術を要する難曲で、それをいとも簡単に弾いてのけるヴィトゥスの姿は、この楽曲を知らなかった人(初めて聴く人)にも、ヴィトゥスの天才ぶりを印象づける。
と同時に、その変拍子のなかで流れるスペイン風の舞踏音楽が、スペインの輝く太陽のなかでフラメンコを踊るスペイン女性たちの姿を彷彿とさせるように響き、この天才児が、ただピアノを弾く技術に優れただけの子供でなく、豊かな情感を兼ね備えた少年であることもあらわしている。
また、彼がモーツァルトの『ロンド・イ短調』(*)を弾くのは、まさに二人の天才ヴィトゥスとアマデウス(神に愛でられし子=神童)が心の交流をするようで興味深く、さらに最も近しい心のよりどころだった祖父が亡くなったときに流れるモーツァルトの『レクイエム』(モーツァルトが死の直前まで作曲を続けていて未完に終わった鎮魂歌)では、通常は加わらないピアノがフューチャーされ、天才であるがゆえの心の虚しさ、普通の子供になれない自分の悲しさが響き渡る。
ほかにも、ピアノを少しでも練習した人なら誰もが一度は挑戦したカルル・チェルニーの『エチュード(練習曲)』や、ピアニストをめざす人なら必ず弾くことになるドメニコ・スカルラッティの『ソナタ』(*)などを、いとも簡単に弾いてのけたり、大先生の前で弾くのを拒否したり……。いかにも常人の想像もつかない天才児の姿が、その音楽とともに美事に表現されている。
が、なかでも興味深かったのは、ヨハン・セバシュチャン・バッハの『ゴルトベルク変奏曲』(*)で、これは天才ピアニストといわれて50歳で早世したグレン・グールドが最も愛し、得意とした楽曲で、そういえばヴィトゥス少年を演じた名子役であり天才ピアニストでもあるテオ・ゲオルギュー少年がこの楽曲を弾く姿は、上半身の揺らし方や頭の振り方、鍵盤に向かったときの手首の落とし方や顔の鍵盤への近づけ方など、グレン・グールドそっくりといえるものだった。
グールドは、天才であったがゆえにか、真夏でもコートを着込み、手袋をはめ、カナダの田舎に隠遁し、コンサートを拒否して録音のみに専念するなど、常人の想像を超えた人生を生きたピアニストだったが、映画のヴィトゥス少年は、最後のコンサートでロベルト・シューマンの『ピアノ協奏曲イ短調』(*)を華麗に熱演する。
この曲は、ロマン派音楽の大天才シューマンが5年もの歳月をかけて35歳のときに完成した唯一のピアノ協奏曲で、しかもこの曲を完成させる前に3曲ものピアノ協奏曲を創ろうとしては途中で放棄し、未完に終わっている。つまり大天才が悩みに悩んでようやく完成させた楽曲であり、この曲を完成させたあと、彼はピアノ協奏曲をつくってない。ヴィトゥスも、最後にこの楽曲にたどりつく、というわけなのだ。
この映画のバックに流れる音楽は「映画音楽」というような「脇役」にとどまらず、まさに天才少年の心の歩みにふさわしい音楽、その悩み、葛藤、成長に歩調を合わせるように選ばれているのだ。まさに、こういう映画こそ「音楽映画」と呼ぶべきだろう。
尚、この文中、*印を付けた楽曲は、テオ・ゲオルギュー自身がピアノを演奏しているものだそうで、映画のなかのヴィトゥス少年だけでなく、それを演じた天才テオの将来の「人生(ドラマ)」にも、興味が持たれる。
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